41歳でプロ棋士に、遅咲き男の「夢と矜持」 挫折の数々、今泉健司さんの定跡外れの人生
――プロ棋士に合格したときのお気持ちはいかがでしたか。
編入試験の第4局に勝って合格を決めた瞬間は、とても信じられない気持ちでした。長年苦労して叶わなかった夢が、本当にこれで実現するのかと。対局が終わってから1カ月経ちますが、まだフワフワした気持ちです。正式に「今泉健司四段」として対局した時に、プロ棋士としての実感が湧いてくるのかもしれません。
――確かに長い道のりでしたね。年齢制限である26歳までにプロになれず、奨励会(プロ棋士の養成機関)を退会されました。
プロになれずに奨励会を退会した後、将棋から完全に遠ざかる人もいます。でも、自分はとにかく将棋が大好きで、弱くなりたくなかった。トップアマのレベルが非常に高いことも知っていたので、「今度はアマチェアの全国大会制覇に挑戦だ」と思いました。
もちろん、中学2年生で奨励会に入り、プロ棋士になることを疑わずに生きてきた人間です。そのときのつらさ、心の痛みは大変なものでした。前向きになることができたのは、ある将棋道場の席主が言葉をかけてくれたからです。「これまで頑張ってきた今泉さんの将棋を捨てるなんて、もったいないですよ」と。プロになれなければ、これまでの努力がゼロになってしまうと思っていましたが、自分の将棋を認めてくれる人がいたのです。道場の講師にも誘っていただきました。それで自己否定に陥らずに済みました。
35歳で2度目の奨励会退会
――その後、対プロ棋士で好成績を挙げていた元奨励会員の瀬川晶司さん(現五段)のプロ入りを契機に、アマチュアからプロへの道が制度化されました。
瀬川さんや、制度を作ってくれた日本将棋連盟には、とても感謝しています。「自分だってプロになる実力はあるはず」と悔いが残っていたのも事実だったので、もう一度プロを目指そうと考えました。そして、アマチュアの全国大会で優勝し、奨励会の三段リーグに編入しました。
でも、期限内に結果を出すことができず、二度目の奨励会退会となってしまった。このとき自分は35歳。さすがに「もうプロ棋士になるのは無理かな」と覚悟しました。少なくとも、再び三段リーグを戦うことはないと。残るは今回合格したプロ編入試験ですが、その受験資格は非常にハードルが高く、狙ったからといって得られるものではないと思いました。
それでも、やはり自分は将棋が大好きだった。とにかく、少しでも強くなるために一所懸命に努力し、目の前の一局一局に全力を尽くそうと。それが、今回の結果につながったと思います。周りの応援にも、本当に感謝しています。編入試験は当然ながら私個人の戦いなのですが、「応援する会」を立ち上げてくれました。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら