私の亡き夫のように結婚が決まるや否や、新しく義姉兄になる人たちやその連れ合いと会うのがうれしくてうれしくて、招かれもしないのに(相手の都合も聞かずに)たびたび訪れては、親睦を深めることを無上の喜びとする人もたまにいます。
姻戚の人たちとどのように付き合うかは、それぞれの人の心の問題として、あるいはそれぞれの人が選択すべき生き方の問題として、本人の自由に任せられるべき問題でしょうか? 決してそうではありません。
姻戚関係はまず建て前から
女性でも男性でも結婚したとしても、相手の実家よりは自分の実家の方が、緊張や遠慮が伴わないという部分だけでも、リラックス度がずいぶん違うのは当然です。緊張や遠慮以外にも、自分を育んでくれた家や家族に対する思い入れは、ほかと比較できるものではありません。
ですが普通はあなたのように、そのようなことはいっさい表情や態度には出さず、「気分よく」相手の実家とのお付き合いを始めるのです。お正月のあなたのご実家でのあいさつ会の中止を、あなたの前で無邪気に喜ばれたご夫君は、その部分だけはまるで子供です。その行為がいかにあなたに失礼か、自分にとっても良くないことか、全然理解していません。
見方を変えると、ご夫君がもう少し大人でしたら、心中はほっとしたとしても、あなたの前では「残念」という言動を取り、あいさつ会が中止になったほどの風邪へのお見舞いの電話を入れるものですが、そのような悪く言えば芸当、普通に言えば常識ある行為は、いまのご夫君の辞書にはありません。
お子様が1歳半ということですので、ご夫君のあなたのご実家の人たちとの親戚付き合いも、始まったばかりということですね。彼の無邪気なはしゃぎ方からは、なぜか悪意が感じられず、ただ社会で生きていく上でのさまざまなルールを守ることの大切さを、まだご存知ないだけだと感じました。その方面では確実に彼より「大人」のあなたが、彼に丁寧に教えて差し上げればうまくいくと思います。
年賀のあいさつから、絆が生まれる
私ごとですが、昔、わが家では、正月の2日は私の実家の方の甥や姪たち、その伴侶や子供たちを迎えての大宴会を恒例行事としていました。7人姉兄の末っ子の私は、それぞれの家に3日にあいさつ回りをするのですが、その前に、甥・姪たちのあいさつを受けるのです。
夫は、あいさつにくる者たちへのご褒美に、どの家でも出ないお料理でもてなすよう、毎年私に厳命し、わが家に座るだけで心弾む場を演出して、私以上に彼・彼女たちを歓迎しかわいがるのでした。
大半は1年に一度しか会わない夫と彼・彼女たちでしたが、そのつながりは彼らがうれしい時はともに喜び合い、困った時は相談に乗ったりする距離に縮まるなど、確実に両者の絆が育まれるベースとなった年の初めの積み重ねでした。
年賀の宴席で育まれる絆
時は流れ、現在はそれぞれの親の家に大集合して、私たちが訪れる形式になっています。時間に限りがありますために、夕方からの正月の大宴会は2軒だけになりました。私からみればどの姉や兄にも同じ情があり、その子供たち家族への愛情や思い入れに変わりはありませんが、昼間にあいさつだけで済ませる親戚と、宴席でおいしいものを食しながら談笑する親戚とは、おのずと多方面で差が出るものです。
特に私の次の世代間(従兄・従姉同士)では、あいさつを交わす時間さえ合わない従兄・従姉と、あいさつだけは交わす従兄、お正月の宴会を共に恒例行事として楽しむ仲の従兄たちとの親しみ度や絆という面では、0対3対10ほどの開きがあるように感じます。
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