「長嶋茂雄」はやっぱり永久に不滅です 野球の五輪復活に必要な視点

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アテネ五輪では初めてプロ野球の選手だけによるドリームチームの日本代表が結成。その監督に指名されたのが長嶋さんだった。“長嶋ジャパン”は2003年に札幌ドームで行われたアジア最終予選を勝ち抜き本大会出場を決めた。

鷲田康氏の近著『長嶋茂雄 最後の日』(文藝春秋、2014年10月発売)

しかし、本大会に向け精力的に動き回っていた真っ最中の2004年3月。長嶋さんは脳梗塞で倒れる。日本代表監督として、アテネに行くことはできなかった。そのアテネ五輪では監督代行を務めた中畑清ヘッドコーチ(現横浜DeNAベイスターズ監督)の指揮の下、キャプテンの宮本慎也内野手(元ヤクルト、現評論家)を中心に戦った日本代表は、予選を1位通過したものの、惜しくも準決勝でオーストラリアに敗れた。それでも3位決定戦でカナダを下して銅メダルを手にしている。

アテネ大会の間、日本代表のベンチには背番号3の長嶋監督のユニフォームが掛けられ、病床から応援する監督の思いも乗せた戦いには、金メダルこそ逃したものの日本中が感動の嵐に包まれた。それは日本のスポーツ界における野球の“重さ”と長嶋さんの存在感を改めて認識させるものでもあった。

長嶋茂雄が語るオリンピックの意味

「アスリートにとってオリンピックに出てプレーをするというのは最高の喜びなんです」

長嶋さんはオリンピックの意味をこう語る。

「スポーツには数字(記録や順位)の重さというものがある。アスリートはみんながその数字を追い求めてやっている。その最高の数字を出すのがオリンピックなんだ。だからその舞台に立って最高の数字を追い求めること。そういう究極の探求がオリンピックにはあるんです」

長嶋さんとオリンピックは野球に限らず縁が深い。

昔から極限を極める競技者に対する憧憬と、同じアスリートとしての興味は並々ならないものがある。そこから何かを吸収して自らの野球における体の動きや、はたまた勝負というものに対する感覚を磨き上げてきた。

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