世界的規制強化を警戒 市場経済を再認識せよ
そもそも、規制の厳格化は、それをかいくぐる動きをつねに誘発する。規制効果のジレンマともいうべきものであり、昨今の国際金融規制の強化の中でも、この動きが懸念されるようになった。それがシャドーバンキング問題であり、ソウル・サミットは、この方面の規制強化も論議していく姿勢を明確にした。
規制逃れをたたくというわけだが、そのテンションがここにきて高まった理由の一つには、やはり、過剰流動性の跋扈(ばっこ)があるといわざるをえない。過剰流動性が規制逃れを助長させているという見方だ。
時計の針を少し戻すと、放埓(ほうらつ)で無責任な自由主義の野放図な拡大が巨大規模の金融危機を招来した。その進展を阻止するための緩和政策が過剰流動性を誘発する。しかし、副作用として発生したマネーの激しいうねりを制御することが困難化するにつれて、市場機能に基づく調整メカニズムはしだいに放棄され、強引な規制強化が、走りながら考えるパッチワーク的なパターンで選択されかねないリスクが強まっている。
おまけに、大衆レベルでは経済対策の恩恵は乏しい。特に、都市部から離れて地方に行くほど、実体経済改善の実感はない。不満が鬱積するにつれて、ときの権力者は地位保全に向けて、さらに強引な規制を強めざるをえない。
統制への懸念
こうした現実の下で、世界とわが国はいかに歴史の教訓を生かせるのか。わが国政府は経済面のみならず、あらゆる政策に手詰まり、政治は不安定さを強めている。海外からは市場機能よりも規制という潮流が押し寄せつつあるようにもみえる。
一方、政界には経済政策が思うような効果を上げえないためか、中央銀行から自由度を奪って、自在に使えばよいという主張も浮上している。こうした発想が強まると、ある日、気がついたら、統制色の濃い社会に変質している--。そんな懸念は杞憂にすぎないか。もちろん、杞憂に終わることを祈るが、そのためにも国民一人ひとりが市場経済の重要性を再認識する必要がある。
(シニアライター:浪川 攻 =週刊東洋経済2010年12月25日号)
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