ウクライナ戦争、身動き取れぬ中国が決断する日 あいまいな態度の裏にあるロシアとの複雑な関係

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中国とロシアは現在、ともにアメリカに対峙する同盟国のように見える。しかし、中ロ関係は単純ではない。中国共産党は100年前に結党したが、当初はモスクワ留学から帰国した「ソ連留学組」の党員が力を持っていた。ところが長征の過程で権力を握った毛沢東は中国国内の事情を無視してコミンテルンの指示に従うだけのソ連留学組を次々と粛清し党中枢から外していった。

やがて中国共産党は国民党との戦いに勝利し中華人民共和国の独立にこぎつける。毛沢東は国家運営についてソ連のスターリンに指導を仰ごうとする。ところがスターリンは、中国共産党をインテリ労働者ではなくマルクス理論をまともに知らない農民出身者の党であると見下しており、毛沢東を冷たくあしらった。それでも毛沢東はスターリンに対する畏敬の念を失わなかったようで、1950年に「中ソ友好同盟相互援助条約」を締結しソ連と軍事同盟を結ぶ。

経済では欧州・アメリカ、軍事ではロシアと協力

そうした関係は長く続かず、1956年にソ連共産党第一書記のフルシチョフがスターリン批判を展開すると、この同盟関係は崩壊し、中ソ対立の時代に入る。それを好機と見たアメリカが中国に接近し1972年のニクソン訪中が実現した。以後、経済成長を優先する鄧小平が改革開放路線の名のもとに西側諸国と良好な関係を構築し、経済大国への道を走り続けた。一方で中ソ両国は長きにわたり対立関係にあったのだ。

冷戦終焉とソ連崩壊が転機を招いた。ゴルバチョフ大統領のもとで、長年の懸案であった中ソ国境問題解決の動きが加速し、2008年に最終的な決着を見た。それを受けてロシアが中国に対し活発に戦闘機やミサイル、艦船などの供与や軍事技術の協力などを進め、中国は一気に軍事大国に成長した。

中国は経済成長を欧米の協力で、軍備の近代化をロシアの協力で実現した。今やアメリカとの関係は対立に変化する一方で、ロシアとは経済力で圧倒し支援を求められる関係になったのだ。

つまり中国はその時々の国家目標を実現するために手を握る相手を現実的に選んできたのだ。こうした実利を優先する国家関係に真の信頼関係が生まれないことは言うまでもない。しかも今の中国とロシアとの間に、かつてのような軍事同盟条約はない。近年の中ロ両国は共通の敵であるアメリカを前に蜜月を演じていたのだろう。

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