「大学入試を廃止」今こそ本気で考えるべき理由 橋爪大三郎氏に聞く「大学システム改革論」後編

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売上が伸びるからと、本社の部署を水ぶくれで増やしていくのは、昭和35年以降の高度成長期に始まった習慣。大学卒業生が大勢、企業に殺到するようになった。それが日本の資本主義だというのは勘違いです。

基礎研究をビジネスと切り離せ

いっぽう、研究は教育と違います。アカデミアに財界人が口を出し、「あの研究は儲かるかどうかわからんね」なんて言ってはいけません。5年後ならいざ知らず、50年後、100年後に役立つ研究は、当面、ビジネスとは無関係です。でも、知の世界では、非常に本質的なことが多い。

アカデミアは、公共財を作るための投資です。「儲かる」話ではありません。公共財を作るための研究の、受益者は将来世代です。将来世代は、まだ存在していませんから、コストを負担してくれない。基礎研究とはそういうものです。

たとえば、エジソンは電球を発明したけれど、彼が経営していた研究所は、採算割れで破産しました。エジソンの死後、世界中が電球を使っていますが、エジソンに報酬を払う方法はありません。同じように、報酬を払えないけど人類が大変な恩恵を受けている研究は、山のようにあります。

ですから、アカデミアは、非常に重要な活動として、税金の一部を使って、きちんと市場経済の外側で維持しておかなければいけない。目先の利害を考えずに、研究にしっかり集中する人生を歩んでもらいましょう、と。

そのためにも、オンライン教育にして「教える人」を減らし、受験にまつわる雑務もなくして、学者は研究に専念させる。それこそ、大学に求められる役割でしょう。

ところが、文科省は何をしたか。「大綱化」のかけ声のもと、哲学、倫理学、歴史、文学など人文系の伝統的学問をなしにしてしまった。かわりに、国際××、学際××、環境××など意味不明の学部や、カタカナ学科を量産した。おかげで、日本の大学は学問なしのスカスカになってしまった。こんな改革は、やらないほうがよかった。

古典的な学問をきちんと踏まえないで、現代社会についての具体的提言なんかできるはずがない。哲学や経済や文学など、確立した古典的な学問の先の先まで究めなければ、その専門をほかの分野につなげる応用力なんか生まれるはずがありません。

日本人は、アカデミアを育てるのが下手くそ。アカデミック・マスジメントという専門職が育ってほしいものです。

(構成:泉美木蘭)

橋爪 大三郎 社会学者、大学院大学至善館特命教授

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はしづめ・だいさぶろう / Daizaburo Hashizume

1948年神奈川県生まれ。大学院大学至善館特命教授。『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『皇国日本とアメリカ大権』(筑摩選書)、『中国VSアメリカ』(河出新書)など著書多数。共著に『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書、新書大賞2012を受賞)、『おどろきの中国』(講談社現代新書)、『一神教と戦争』(集英社新書)など。

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