日本に「危機管理専門」の官僚が足りない根本理由 国民を危機から守るのに欠かせない2つの存在

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一方、船員(官僚)だけでは船は動かない。船長が必要だ。日本という船の行く先を決める舵を握るのは、危機時も平時も、政治家である。とくに、強固な国家的危機管理体制を整備するための改革を進めることは、情熱と固い意志を持つ政治家にしかできない。

「それにもかかわらず!」とは、政治学者マックス・ヴェーバーの『職業としての政治』に出てくる有名な一節である。ちょうど100年前のスペイン風邪で亡くなったヴェーバーが、新型コロナ危機に揺れる現在に与えてくれる示唆は大きい。

ヴェーバーは、「政治とは、情熱と判断力を駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業」であり、「どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間」こそが政治への天職を持つのだという。

国家的な危機管理体制の改革においては、この姿勢こそが求められると、筆者は思う。望ましい改革の方向性は、個々の政治家や官僚の信条によって異なる。したがって、ある方向に向けた改革を行おうとすれば、それとは異なるベクトルを向いている勢力から大きな抵抗を受けたり、現状維持圧力が働くことは当然である。しかし、「それにもかかわらず」、とにもかくにもやるのである。

政治機構改革に乗り出した橋本龍太郎

それを体現したのが、橋本龍太郎元首相だろう。

1990年代は、戦後50年以上が経過して日本の経済的な豊かさが向上し、少子高齢化の進行という内政面の変化に加え、国際社会では冷戦構造が崩壊してアメリカ主導の新秩序が形成されつつあるという外政面の変化が起こっていた。

同時に、相次ぐ金融機関の破綻や官僚の不祥事が国民の不信を増大させたこともあり、社会経済システムの制度疲労が認識された。これらの内政面・外政面の変化に対応するため、その社会経済の制度や施策そのものを立案し運用している中央省庁を中心とする統治機構の改革が求められたのである。

橋本元首相は、1996年1月の橋本内閣誕生と同時に、「変革と創造」をモットーに、中央省庁再編という統治機構改革に乗り出す。

1996年11月の第2次橋本内閣発足時の所信表明演説では、「行政改革には、いろいろな抵抗や困難が予想されますが、私は身を燃焼させ尽くしてもやり抜きます」と固い意志を示した。「火だるま」になっても実行すると評されたその情熱は、内閣官房の強化・内閣府の新設といった政府全体の司令塔を作ると同時に、中央省庁全体を1府22省庁から1府12省庁に再編してスリム化するという形で完遂された。

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