「特攻」や「玉砕」は日本の伝統への背信行為だ 第3回 太平洋戦争での3つの誤り
この3つをですね、私たちはどうあれ、きちんと太平洋戦争の誤りとして、次の世代へ伝えていかなきゃいけない。
これを克服したうえで、さて、軍事とはどうあるべきかという段階に行くんですが、その段階に行く前に、こういうことをきっちり議論しないで行くことは誤りである、というふうに思うわけですね。やはりそれを強調しておきたいと思います。
「平和」と言うだけでは何も解決しない
もうひとつ、最後に。
イヤな言い方をしますけど、私は「平和憲法」とか「平和団体」という言葉ぐらい、いいかげんなものはないと思いますね。
そもそも、あの憲法は平和憲法でしょうか? いいえ、今の憲法は、平和憲法じゃありませんよ。非軍事憲法なんです。
平和憲法というのは努力が必要なんです。平和にしていく努力が必要なんですね。その努力は、時間と空間が必要なんです。非軍事憲法を平和憲法にしていく努力を、やっぱりしなきゃいけない。
それをしないで、憲法をすぐに平和憲法と言ってしまった。そうすると、努力する必要はないですね。それを守るだけでいいということになってしまった。それがやはり今、いろんな意味で問われているんだと思います。
そういうふうに思うことで、戦後70年というものを考えていくときに、ナショナリズムの土台には私たちの日常のものの考え方、そのものがなければいけないんだということを、あらためて感じました。
今日のお話で、ぜひ、ナショナリズムの下部組織ということを、お考えいただきたいと思います。たとえば私たちは、食事をするとき、母親から、ご飯にはしを立てちゃいけないよとか、はし渡しをしちゃいけないよとか、最後まで米粒を食べなさいとか、言われて育った世代です。年上の人に乱暴な口をきいたら、母親にほっぺたをつねられますね。私たちの世代は、そうですよ。
私は、そういった倫理とか道理とかっていうものに、深い信頼を持っています。こういうものは、私たちの国がやっぱり基本的に守るべきものだと思います。それが人間社会で生きていくうえの、私たちの倫理であり、道理であり、下部のナショナリズムなんだと考えていけば、上部構造のナショナリズムをチェックする考え方、そういう姿勢も生まれてくるんじゃないかなと思います。
今日の講演は、本当は『日中韓を振り回すナショナリズムの正体』の共著者である半藤一利さんと2人でやるべき話なのですが、半藤さんは85歳のお年なもので、「お前、やってこいよ」というふうになった。僕ももう74歳ですが、なんとか戦後70年までは頑張ろうと思います。
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