「特攻」や「玉砕」は日本の伝統への背信行為だ 第3回 太平洋戦争での3つの誤り
来年は70年ということで、あの戦争が「同時代史」から「歴史」へ移行していくと思うんですね。同時代史から歴史へ移行していくということは、解釈が変わっていくということです。解釈が変わるということは、右から左へ変わる、左から右へ変わるという意味ではありません。
太平洋戦争は何だったのかということが、本当に歴史の中で解釈されていくということなんです。東條がいい人だったとか、天皇がどうだったとか関係なく、あの戦争は何だったんだろうということが伝わるということですね。それが同時代から歴史へ移行するということです。
同時に私たち、同時代に生きた者は、あの戦争から何を学んだか。何を教訓としているか。それを次の世代に伝える義務が新たに発生するということです。
その義務を果たさずして、私たちは戦後70年をぼんやりと見過ごして、やり過ごそうとしてはいけないと思います。ナショナリズムの問題も含めて、きちっと考えようということです。
次の世代に伝えるべき「あの戦争からの3つの教訓」
あの太平洋戦争は、政治とか、思想の問題で考えるべき問題ではありません。歴史の中の文化とか伝統で考えるべき問題です。私は、その視点で、3つの教訓があるかなと思っています。この3つを、やはり次の世代に伝えていかなければいけない。
ひとつ目。軍事が政治を振り回したということです。20世紀は政治が軍事を動かしました。シビリアンコントロールですね。アメリカ、イギリス。ヒトラーや、スターリンでさえもそうです。政治が軍事を動かしました。ところが日本は軍事が政治を動かした。
では、軍人はどういう育ち方をしたのか。日本の軍人はどんな育ち方をし、どういう教育をされたのか。検証していけばわかりますが、彼らは戦争とは、あくまでやるものだと言ったんです。それがやっぱり、軍事が政治を従属せしめたという、この戦争の教訓のひとつです。
2つ目。特攻作戦とか、玉砕というのは、一死零生の考えです。100%死んで、助かる人は0%です。そんな作戦を考えて、進めた指導者たちは、政治や軍事の問題ではなくて、日本の文化や伝統に対して、著しい背反行為を重ねた。私たちの国はそんなに命を粗末にしたのか、命をものに変えるほどバカな考えをしていたのか、ということです。
このことを突き詰めていくと、武士道の中でも『葉隠』の中の極端な精神だけに絞り、それを西欧の軍事学と合体させることで、奇妙な軍人の軍事観ができた、ということに行き当たります。これをきちっと総括して、誤りなんだということを伝えないといけない。
特攻隊員が悪いんじゃありませんよ。特攻というシステムを考えた軍事指導者たちの責任は、極めて大きいということです。
3つ目。20世紀の戦争はルールがありました。捕虜を扱うにしろ何にしろ、ルールがあった。私たちの国は残念ながら、そのルールをほとんど無視した。それらを無視したことに対して、私たちはどのように反省したのか。