「ロシアの怨念」がウクライナ事態を引き起こした ウクライナを襲った「コンプレックス」の正体

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こうしてロシア革命が成立すると、そうした民族の独立を認めつつ、ソビエト連邦という大きな連邦の1つの共和国として独立を認めるという方法をとる。しかし、当面の敵であった抑圧と中央集権のツァー体制がなくなると、ソ連共産党にとってそれまでの民族独立闘争が邪魔になる。一方で、民族独立闘争を支持しながら、最終的にはそれを撲滅しなければならないという矛盾が出てくる。民族は認め、共和国を認めるのだが、それを束ねるのはソ連共産党であり、しかもその中心にロシア人が位置することになる。

ソ連によって組織された第3インターナショナルは、早速この問題に遭遇することになった。ソ連共産党は、それ以外の地域や国の共産党に対してどういう位置にあるのか。ソ連共産党の指導による世界共産主義の指導方針は、上意下達の中央集権的ツァー体制をその遺伝として受け継いでいるのか、そうでないのか。ソ連共産党は、結局ロシア共産党ではないのか――。ソ連共産党がつくり上げた新しい国家は、正式には「ロシア社会主義連邦ソビエト共和国」であり、すべての共和国はロシア連邦に吸収されるような形でソ連の共和国の一員となったのである。

中央集権的社会主義に変質したマルクス主義

まさにそのことを明確に示したのが、ロシア革命の政権成立後に起きた、各地域の民族独立運動の指導者に対する批判と攻撃であった。独立は認めるがその独立はソ連の一員となることであり、ロシアの言いなりになるということでもあった。民主集権制という言葉にまとわりつく中央集権的構造は、マルクス主義に中央集権的社会主義という刻印を刻むことになる。当然こうしたソ連の革命に対して、ドイツ社会民主党が反対したのは当然である。

革命後、共産党の指導や工業の発展、農業の集団化という名目で大勢のヨーロッパ系ロシア人がソ連邦内の各共和国に送り込まれた。そして主要な役職の多くを彼らが占めるという状況が生まれ、やがてこれらの地域の民族出身の幹部は、次第に粛清されていく。

歴史学者の山内昌之の著書『スルタンガリエフの夢―イスラム世界とロシア革命』(東京大学出版会、1986年)は、この時代のロシアによる粛清の犠牲となったカザフスタンのミールサイト・スルタンガリエフ(1892~1940年)のことを描いている。スルタンガリエフは、プロレタリアとしての社会主義ではなく、民族としての社会主義を主張したのだが、粛清されたのである。

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