自虐笑いや土下座すらネタにできない空気の正体 弱者が弱者として語ったり、演じたりもNGとなる

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これまで会場の一体感を醸成し、笑いを作り上げるのがコメディアンの力量だった。現在でもアメリカのコメディアンは場を支配するよう努めている。ただ、笑いのトリガーは、演者たちが完全に規定できるわけではない。

なお公正に付け加えておけば、Saku Yanagawaさんは単純にツッコミの役割を軽視しているわけではない。むしろ演者がジョークを語る内容として、いかにギリギリを狙っていくかを試行錯誤している。

コンテンツの漂白化にあたって

ここまでいくつかの例をあげてコンテンツの漂白化について述べた。

コンテンツはつねに現代の価値観にアップデートされなければならない。同時に、弱者が弱者として語ったり、演じたりすること自体に再検討を促す。

多くの企業は多様化(ダイバーシティ)を語っている。企業は、その意味を、男女平等とか国籍を問わないとか、学歴や出身地を問わないとか、宗教とか価値観もバラバラでいいはずだ、といった基準として認識している。しかし、アメリカのスタンダップコメディと、日本のお笑いを比較したように、もっとも根源的な感情の発露にさえ多様化(ダイバーシティ)が求められている。

笑う行為だけではない。速い車、痩せている体型、豊かな生活、快適な住空間……。それらを是とするのも1つの価値観の押し付けにすぎないかもしれない。少なくとも、消費者にとっては、その可能性がある。

私は、この漂白化する社会を嘆いているわけではない。嘆いてもおそらくこの潮流は変わりそうにない。それならば、善悪を超えて、これらに追随する必要がある。コンテンツの漂白化――これらは企業の価値観に根源的なフラット化を求めている。

(第4回に続く)

前回:「人を外見で判断」が根本的に問い直されている訳(3月3日配信)

坂口 孝則 未来調達研究所

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さかぐち・たかのり / Takanori Sakaguchi

大阪大学経済学部卒。電機メーカーや自動車メーカーで調達・購買業務に従事。調達・購買業務コンサルタント、研修講師、講演家。製品原価・コスト分野の分析が専門。著書も多数。

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