自虐笑いや土下座すらネタにできない空気の正体 弱者が弱者として語ったり、演じたりもNGとなる

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ところで、弱者ならば発言しても許される時代が続いていたように思う。

つまり差別されている側が、自虐ネタを語るなら大丈夫だったように感じる。「モテない自慢」も笑いとなりえた。

ただ、弱者であっても自らを自虐的に語ることはできなくなるだろう。自らを弱者と思っていても弱者に対する軽口は社会的に受け入れられない。これまでは弱者とは正義のことだった。しかし弱者であっても弱者自身を自虐するのは許されないようになってきている。

象徴的なのは、土下座だ。本来、土下座とは高い身分の人物に大いなる敬意を示すためのものだった。その後、謝罪やお願いを意味するために土下座されるようになった。つまり土下座する側は弱者となる。

土下座の扱いですら難しくなっている

そしてドラマ『半沢直樹』がそうだったように、土下座は屈辱の意味で使われる。またビジネスのシーンで土下座を見る機会はなくなった。私は一度だけ「どうぞこの取引を実現させてください」とお願いする場面に立ち会ったことがある。それに企業の謝罪会見で土下座を見せるニュースも見た。しかし、現在はおそらく実際に土下座を見る機会はほとんどない。

また相手に土下座を要求する人もほとんどいないのではないだろうか。企業の謝罪会見で土下座させてしまうと、見ている側は「土下座させてしまった」側として心穏やかではいられない。

ところで土下座は弱者といったが、日本のメディア、とくにお笑い番組で演者が、意図的に土下座する場合がある。しかし、そのような弱者のフリをする行為も許されなくなっている。たとえば年始のお笑い番組で、芸能人のスポーツチームが負け、相手チームに再挑戦をお願いするシーンがあった。敗北者=弱者、とあえて構図を単純化する。

これまでなら延長戦を土下座して懇願していた。しかし、今年からは土下座はなし。コンプライアンスを重視した結果だった。弱者が土下座をすることも、それは相手からのパワハラとして認められないわけだ。敗北者=弱者の自発的な土下座であっても、弱者にそういうことをさせるのは許されないのだ。

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