確認方法はいたってシンプルであり、また一目瞭然である。車両の片端と中央付近の2カ所から、「矢羽根」と呼ばれる木の棒が何本も突き出しており、その先端が建築限界と合致するようになっている。
この車両を走らせ、もし矢羽根が構造物に当たれば、その構造物は建築限界内に入り込んでいるというわけだ。矢羽根が当たったかどうかは作業員が目視で確認するほか、矢羽根が当たると電気仕掛けで車内の表示ランプが消えるようになっている。矢羽根を突き出した外観が、かんざしを差した花魁(おいらん)のように見えることから、いつしかオヤ31は「オイラン車」とも呼ばれるようになった。
オヤ31の元となる車両が造られたのは1937年。マイテ49より1つ年上ということになる。もともと旅客用の3等車だったが、マイテ49と同様に進駐軍に接収されたり、食堂車に改造されたりといった経歴を経て、1957年にオイラン車となった。
その外観や車内は、マイテ49とは対照的に「質実剛健」といった雰囲気。壁や床は木張りで、作業用の机や椅子が配されている。机の横には灰皿が、執務スペース中央にはダルマストーブがあり(いずれも現在は使用停止)、まさに昭和30年代の雰囲気が残っている。車外に突き出た矢羽根は車内にもつながっていて、芸術的な幾何学模様を描いていた。
出番ないがいつでも動ける
しかしながらその業務の特殊性から、このオヤ31が運行されることはめったにない。また、オヤ31を使った建築限界測定は多くの人手や準備を要するのに加え、近年は検測機器の発達や線路上を走れるトラックが普及したことから、これらを使った測定が主流となっている。21世紀に入ってからは、2004年に加古川線で、また2011年にJR琵琶湖線で、オヤ31を使った測定が行われたものの、ここ10年は出番がほとんどない状態だ。
ただし、車両のメンテナンスは定期的に続けられており、いつでも動ける状態が維持されている。大規模な検査は宮原支所ではなく網干駅近くにある網干総合車両所で行われ、その際には本線を機関車に牽引されて走行する姿も見られる。
宮原支所の片隅で、静かに出番を待つ2両の戦前製客車。彼らが再び任務を果たす日が来ることを、期待したい。
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