戦前製レア車両「マイテ49」「オヤ31」次の出番は? "古きよき時代"の展望車と事業用「オイラン車」

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網干総合車両所宮原支所に残るオヤ31形。建築限界を測定するための車両だ(撮影:伊原薫)
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2022年は日本に鉄道が走り始めてから150年という節目にあたる。鉄道の発達に合わせて数多くの車両が造られ、それらを収容する車両基地も各地に整備された。当初はターミナル駅に併設されたパターンが多かったものの、周辺エリアの再開発などに伴って郊外へと移転したり、新しい設備を持つ基地に統合されたりした結果、都心近くに残る車両基地は数を減らしている。

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新大阪駅に隣接する網干総合車両所宮原支所(以下「宮原支所」)は、1933年に開設された操車場と機関庫がルーツで、“老舗”の車両基地として知られる。今は主に福知山線の車両が所属しているが、かつては大阪を発着する優等列車の所属基地として名を馳せた。そしてここには現在も、戦前に作られた2両の客車が所属している。

展望デッキがある「マイテ49」

このうち1両は「マイテ49形2号車」と呼ばれる車両である。その最大の特徴は、一端が開放式の展望デッキとなっている点だ。当時は3等級あった客室ランクのうち、最上級となる一等展望車として1938年に製造され、花形列車である特急「富士」「つばめ」などで使われた。終戦直後の一時期は進駐軍の専用列車として接収された経歴も持つ。

今も残るマイテ49形。展望デッキがある戦前製の車両だ(撮影:伊原薫)

特急「つばめ」の電車化などによって1961年に引退。翌年、大阪・弁天町駅近くにオープンした交通科学博物館(当初は交通科学館)に収蔵された。以来ここで余生を送っていたが、1987年に転機が訪れる。国鉄の分割民営化に伴う記念事業の一環として復活することになり、四半世紀ぶりに本線上に戻ってきたのだ。

その後、JR西日本に継承され、臨時列車などで活躍。筆者も何度か乗車する機会に恵まれた。直近では、営業列車としては使われていないものの、2018年春に京都鉄道博物館で展示されている。

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