なぜDeNAの観客数は3年で42%伸びたのか 横浜DeNAベイスターズ・池田純社長に聞く

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――これからやってみたいことは。

街づくりです。球団と横浜の街のイメージがシンクロしているようになっていければ、と考えています。例えば、ボストンと言ったらレッドソックス、シカゴと言ったらカブスを連想しますよね。でも、現状は横浜からベイスターズはなかなか連想してもらえません。実は、「横浜」という都市のブランドイメージ調査もやってみたのですが、おしゃれな街、港の街、国際的、といったイメージは持っていても、プロ野球団の本拠地がある街、という回答は上位には出てこなかったんです。

「横浜ブルー」のイメージを広めたい

――街のイメージを変えるとなると壮大ですね。どんなアプローチをお考えですか。

まずは球団のイメージを街のイメージに近づけることから始めたいと思っています。ウチはベイスターズなのに、今まで「スターズ」のところしか、ほとんど使ってきていません。

川崎球場から横浜スタジアムに本拠地を移し、球団名が横浜大洋ホエールズになったのが1978年。横浜ベイスターズになった1993年から2011年までの19年間にわたって球団マスコットを務めたのが、星形の顔をしたホッシーファミリーだった。2012年シーズンから、ホッシーファミリーが飼っていたペット、スターマンに交替している。

――これからは「ベイ」の方のイメージを使っていく、ということですか。

もちろん「スター」に加えて「ベイ」です。近くに港があるのに、ウチには海のイメージがないですからね。具体的には、青のイメージを強めたいと思っています。まだどんな青色なのかはお話しできませんが、この色が「横浜ブルー」だ、という青色を、名称とともに広めたいと思っています。

「横浜港の街を、ボールパークの街にしたい」。ベイスターズ・池田社長の挑戦は続く(撮影:梅谷秀司)

われわれの球団は、せっかく横浜公園の中に球場があるのに、スタジアムがコンクリートの遮断壁になってしまっています。パドレスが本拠地にしている、米国サンディエゴのペトコ・パークは野球場が主役のボールパークになっていて、あれを目指したい、と思わせる公園です。

これまでは球場の中を変えるのに精一杯でしたが、これからは横浜公園の魅力作りにも挑戦していきたいと思っています。

――すでに外周部には、夏の間だけですがビアガーデンや遊具エリアも誕生していますね。

もう一歩進めて、普段から人が来るボールパークにしてみたいですね。そうすると、市民と野球場のメンタル的な距離が縮まります。たとえば、昼休みに球場を開放して一般の人が入れるようにするとか。

人を呼び込める仕掛けを今後球場や横浜市、地元とアイディアを出し合って考えていきたいと思っています。人の流れで言うと、横浜港の大桟橋から内陸側は、象の鼻公園あたりで止まっているものを、こちらまで誘導したいし、鉄道からの流れだと、みなとみらい地区の東端にあたる桜木町駅で止まっているものを、関内駅まで呼び込みたいと思っています。

――そうなると、かなり地元の協力が必要ですね。例えば広島は駅構内にカープの横断幕が張り巡らされていますし、主要幹線の歩道にあるマンホールの蓋も「カープ坊や柄」です。

パブやコンセプトショップが周辺にあって、ゲーム終了後に行くとゲームの映像を流してる。そんな風になったらうれしいですね。今は街づくりの会議にはどんどん出るようにして、いろいろな人と話をしています。

伊藤 歩 金融ジャーナリスト

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いとう・あゆみ / Ayumi Ito

1962年神奈川県生まれ。ノンバンク、外資系銀行、信用調査機関を経て独立。主要執筆分野は法律と会計だが、球団経営、興行の視点からプロ野球の記事も執筆。著書は『ドケチな広島、クレバーな日ハム、どこまでも特殊な巨人 球団経営がわかればプロ野球がわかる』(星海社新書)、『TOB阻止完全対策マニュアル』(ZAITEN Books)、『優良中古マンション 不都合な真実』(東洋経済新報社)『最新 弁護士業界大研究』(産学社)など。

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