堀江貴文「他人に期待しすぎるな」と言い切るワケ 期待しないからこそ労われた時の喜びも大きい
創業時の仲間は、ほかに2人。当時つきあっていた彼女・有馬あきこさんと、駒場寮の先輩の松尾賢一さん。六本木3丁目の古びたビルの一室を借り、1996年4月23日、有限会社オン・ザ・エッヂを設立した。設立日から目まぐるしく仕事をしていたことを覚えている。
やがて「仕事がありすぎて回らない」という状況になり、バイトをどんどん採用した。また半年も経たないうちに、広めの部屋に移転(といっても20畳程度だが)。あまりに忙しいときは、オフィスによく寝泊まりしていたものだ。
そんな僕だったが、その年の年末の慌ただしさはとくによく覚えている。レギュラーの仕事に加えて、年末に2つの大きな仕事を抱えていたのだ。
1つは、博報堂から請け負った電子年賀状。「お年玉付き電子年賀状」のシステムを作る仕事だった。このシステムを作った当時、今では常識となっている負荷分散も、まだ手探りの状態だった。サーバが落ちないように、「この部分は別のサーバにして」というノウハウを走りながら覚えていった。僕はこの電子年賀状につきっきりだったため、もう1つの案件はメンバーに任せていた。
それは、大晦日に行われる小室哲哉ファミリーのイベントのネット中継だ。
小室ファミリー案件を請け負うも…
驚かれるかもしれないが、オン・ザ・エッヂは 「komuro.com」 や華原朋美さんの 「tomomi.com」 など、「TKファミリー」のサイトを一手に制作していたのだ。その流れで当時、一世を風靡していたglobeのライブのインターネットチケットサービスも手がけさせてもらった。
インターネットでチケットを販売したのは、globeが国内初である。そのシステムは「サイバーキャッシュ」という企業のシステムを利用したが、そのサイバーキャッシュを日本で初めてインストールしたのは僕だった。
このように、小室ファミリーとの仕事は多岐にわたっていた。その一環として、前代未聞の規模となる一大イベントのネット生中継をサポートしていたのだ。
このイベント中継には、約100万人の同時視聴が予想されていた。本番中に「サーバが落ちる」などの問題が起こることは許されない。準備段階から周到な計画が求められていた。
しかし12月26日、大晦日のイベントまであと5日というタイミングで、中継担当の当社スタッフのBが、会社に来なくなってしまった。
「またバックレたんじゃねえか?」
実はBには、過去にもバックレられていた。成田(新東京国際)空港公団のウェブの仕事でも、納期前日に来なくなったのである。そのときは僕が先方へ謝罪に行き、納期を1カ月も遅らせてもらった。そんなBの復帰第1弾の仕事が、このTKファミリーのイベント中継だったというわけだ。
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