ファンド傘下で出直しのすかいらーく、脱創業者経営への試練《新しい経営の形》
谷は当時、新日本製鉄との合弁会社(04年4月にすかいらーくが完全子会社化)で、ショッピングセンター内のブュッフェレストラン等の開発を手掛けるニラックスで社長を務めていた。すかいらーくにおけるキャリアの本流は、かつて上場を果たしたジョナサン、藍屋、バーミヤン、そして本体。いわば出世街道から離れた傍流にいた谷にとって、時代の流れと逆行するグループの戦略は、違和感以外の何物でもなかった。
急速出店を始めた当時の社長は子会社・バーミヤンで社長を務め、上場へ導いた実績のある伊藤康孝だ。伊藤はすかいらーくの大卒4期生。「すかいらーく」1号店で店長も務め、創業者の茅野からは全幅の信頼を置かれていた存在。その伊藤がブチ上げた戦略が、「三本の矢作戦」と呼ばれるものだ。「ガスト」「夢庵」「バーミヤン」をそれぞれ1000店出店するという大胆な計画。当時の店舗数は2000店強だから、2倍以上の急拡大を意味する。
外食市場は97年をピークに縮小に転じていたが、創業家の意思を最も明確に継いだともいえる伊藤は、自らの成功体験を信じ、急速多店舗展開という成長神話を追い続けた。だが、業績は就任前の00年度の経常利益を一度も上回ることがなく、06年1月には、一旦経営から退いたはずの横川が会長兼CEO(最高経営責任者)として復帰。伊藤は事実上の更迭となった(下表参照)。