水野和夫氏「第2の中世は寛容で創造的な社会」 「利益が嘘をついた」とき、「近代」は終焉する

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

「膨張」から「収縮」へのプロセスにおいて既存のシステムが機能しなくなり、かつ新しいシステムが誕生しつつあっても人々の信頼をすぐには獲得できないので「歴史の危機」となる。だから、「より寛容に」の姿勢で激変による混乱を緩和しなければならない。化石燃料は都市への集中を可能にさせたが、自然エネルギーへの移行過程においては「分散」せざるをえず、「より近く」に向かうのは必然である。

科学と技術が求める「より合理的に」は「より遠く」と「より速く」を可能にさせるためのものであった。あらゆる資源、すなわち土地、労働力、資本などが足りず、かつ欲望は無限だった時代にあっては、無駄遣いは許されず合理的な行動が求められた。ところが、現在の日本は食品ロス、住宅空き家問題、大量の衣料品の廃棄などモノはあり余っている。合理性基準で「より多くの」モノをつくる必要はなくなった。

今後「より近く」と「よりゆっくり」に貢献する技術が出現したとしても、それは人間の精神向上には役立つであろうが、「経済成長」には貢献しない可能性が高い。「経済成長」は科学的・合理的思考を前面に出して「進歩」すること、すなわちシュムペーターがいう「ますます多くをというモットー」を掲げる近代の産物だからである。

あらゆるものが「過剰・飽満・過多」となった21世紀において「ますます多く」を求めれば求めるほど、弊害が大きくなるだけである。富の偏在も解消に向かう。「第2の中世」は、あり余る財・サービスと資本は救済のために使うことが求められ、「寛容」の時代となっていく。

人間的な人間:ペトラルカとケインズの想い

ゼロ金利になると、事実上融資・債券(デット・ボンド)と出資(エクイティ)の区別がなくなる。第2の中世の到来である。近代とは未知の空間を「より遠く、より速く」先陣を切った人や企業ほど効用と利潤を極大化することができると考える社会である。それは同時にリスク社会でもあるから、融資・債券と株式を分離する必要があった。

しかし、21世紀になって「実物投資空間」の極限に達したことによって、ゼロ成長社会となり債権と出資を分離する必要はなくなった。融資・債券と出資が分離していなかった中世に回帰したのである。後期中世から「長い16世紀」にかけて「閉じた」環地中海世界でルネッサンスが開花し、無限の空間を見いだしたことで近代の幕が開いた。

最初の近代人は人文学者ではペトラルカ(1304〜1374)であり、自然科学者ではコペルニクス(1473〜1543)である。ペトラルカは「中世の秋」が始まったばかりに生まれ、コペルニクスは「長い16世紀」の始まりに生まれた。当時、利子が認められたばかりで、まだ空間が閉じられていた世界だったが、2人は無限の空間を招来させた功績で最初の近代人と称えられた。

ペトラルカは宗教的世界に閉じ込められていた人間の精神を解き放した。近藤恒一(『ペトラルカ研究』)によれば、ペトラルカは「獣的」人間から「人間的」人間への道を拓いたのであり、多くの近代人にみられた自然を開発するというよりも美的なものを重視した。ペトラルカのいう「人間的な人間」とは「徳の人」にほかならない。

しかし、その後自然開発が進み科学と技術の時代になってペトラルカの思惑と異なった方向に近代は進んだ。イタリアの歴史家グィッチャルディーニが指摘したように「私的な利益こそ、すべての人間を導く主である」という考え方が主流となり、21世紀には徳の人を探すのは困難であり、ビリオネアが大手を振るっている。

グローバリゼーションによって「実物投資空間」が膨張するにつれ、逆に人々の精神は縮み、「精神のデフレ」(五木寛之『情の力』)が生じた。「物理的空間」が閉じ、物的生産力が過剰となった21世紀においては、13世紀の商人がもっていた「住まい(地球)はせまくとも、思い(精神)は広し」の心意気で、ペトラルカのいう「人間的な人間」を追求すれば精神のデフレから脱却することができるだろう。

社会保障改革などによってケインズのいう「明日のことなど心配しなくてもいい社会」を構築し、過剰な生産を止めて労働時間を短縮すれば、人間にとって最も価値あるもの、すなわち善を追求することができる。ケインズのいう善とは、快楽ではなく、心のある状態をいい、「人間の交際の楽しみと、美しい対象の享受にあるといえよう。この問題をわが心に問うたことのある人なら、おそらく誰しも、個人的な愛情と、芸術や自然における美しいものの鑑賞とが、それ自体善いものであることを疑わないであろう」(ケインズ『若き日の信条』)。

第2の中世とは、精神が堕した近代をルネッサンスすることであり、その思いはペトラルカからケインズに受け継がれている。21世紀はイメージ力に富み、効用(功利)よりも美意識・芸術を重んじることで、人間の精神が豊かな社会になるであろう。第2の中世は機械の支配から脱し、人間的な人間、すなわち「人間化」の時代となる。

水野 和夫 法政大学教授

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

みずの かずお / Kazuo Mizuno

1953年、愛知県生まれ。法政大学法学部教授(現代日本経済論)。博士(経済学)。早稲田大学政治経済学部卒業。埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て、内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)、内閣官房内閣審議官(国家戦略室)などを歴任。著書に『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』(日本経済新聞出版社)、『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)、『次なる100年』(東洋経済新報社)など多数。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事