ウクライナ紛争の奇々怪々 「侵略者」が突如、「調停者」になった

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ウクライナでは激しい戦闘が続いた(ロイター/アフロ)

ウクライナではこれまで米国などが「侵略者」呼ばわりしていたロシアが、突如ウクライナ政府と東ウクライナの分離派の紛争を仲裁する「調停者」となり、停戦合意が成立するという珍事態が発生した。

ただ、これも以前から情勢を見ていれば、しかるべきところに落ち着いた、との感もある。

この問題の経緯を振返れば、ウクライナは年来EU(欧州連合)加盟を望み、2012年3月には加盟の前段階である連合協定の仮調印も行われていた。だがギリシャで懲りたEUは加盟候補国の財政、経済に厳しい条件をつけ、すでに破綻状態にあったウクライナが条件を満たせる可能性は低かった。

ヤヌコビッチ前大統領の心変わり

そこへロシアのプーチン大統領が「ロシア中心の関税同盟(ベラルーシ、カザフスタンが加入)に入れば150億ドルを融資し、天然ガスも3割引で供給する」と甘い誘いをかけたことで、ウクライナのヤヌコビッチ前大統領は心変わりし、昨年11月29日に予定されていた連合協定の本調印を直前にキャンセルした。

これがウクライナ紛争の発端で、EU加盟を望む親西欧派市民や反ロ民族主義者の騒乱に警察が発砲、2月22日に議会が大統領解任を決議し、大統領の亡命へと発展した。本来クリミア半島は18世紀のエカテリーナ2世の時代以来ロシア領だったが、1954年にウクライナ人のフルシチョフ首相がクリミアをウクライナに移管した。

当時はいずれにせよソ連内での行政区画の変更のようなものだったから問題は起きなかったが、91年のソ連崩壊でウクライナが独立すると、クリミアでは人口の大部分を占めるロシア人がウクライナ人になるのを嫌がって独立運動を起こし、協議の結果高度の自治を認められた自治共和国としてウクライナに残ることで妥協した。

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