日本を「敗戦必至の戦争」に巻き込んだ男の正体 「近衛文麿首相の発言」は何が問題だったか?

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昭和13年(1938)には、国家総動員法という超法規的な法律をつくり、戦争に人や物を自由に利用できる仕組みをつくった。

ただ、広大な中国との戦争は資源を消耗させる一方で、物資は急速に乏しくなり、切符制、配給制が広まってしまう。昭和15年(1940)には農村における米の供出制が始まった。農家は米を国家に安く買い上げられることになったのである。

この頃の農家は、一家の働き手が徴兵される家も多く、太平洋戦争が始まると化学肥料の輸入が途絶え、生産力は低下していった。

銅や鉄の使用まで制限される事態

供出は農家だけではない。昭和16年(1941)8月30日には、金属回収令が制定され、一般家庭にも鉄や銅製品の供出が命じられた。これをくろがね動員と呼ぶが、すでに昭和13年には、日用雑貨品に対する銅や鉄の使用も制限されていた。

郵便ポストも陶製となったが、同令により、国民は鉄の置物、門扉、看板、傘立て、手摺などを、微々たるお金と交換し、政府に引き渡さなければならなくなった。

戦争で石油が不足してくると、政府は昭和12年にタクシー営業を制限、翌年からガソリン・重油の配給制を実施した。また、石油にかわる代用燃料の開発が進み、アセチレンガスや大豆油、鯨油の使用やガソリンへのナフタリン混入などが考案された。

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だが、もっとも普及したのは木炭である。自動車の後部に釜を設置し、薪を蒸し焼きにして発生するガスをエネルギーに自動車を走らせるのだ。

昭和16年10月に、乗合自動車のガソリン使用が全面的に禁止されると、一気に木炭バスや木炭タクシーといった木炭車が町中を走るようになった。

こうした状況のなか、ドイツが第二次世界大戦で連戦連勝すると、日本は英米との戦争を覚悟のうえで、日中戦争継続のため、南方(東南アジア)へ進出していこうと決断。とうとう12月に、太平洋戦争へとなだれ込んでしまう。

もし盧溝橋事件で増派しなければ、もし国民政府との和平のチャンネルを自ら鎖さなければ、太平洋戦争での敗戦の悲劇は回避できたかもしれないのである。

河合 敦 歴史研究家

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かわい あつし / Atsushi Kawai

歴史作家、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。1965年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆・監修のほか講演やテレビ出演も精力的にこなし、わかりやすく記憶に残る解説で熱く支持されている。著書に『日本史は逆から学べ』(光文社知恵の森文庫)、『歴史の勝者にはウラがある』(PHP文庫)、 『禁断の江戸史』(扶桑社新書)などがある。

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