インターネットが「文化資本の格差」拡大させる訳 アクセスの平等は「皆が上手に使える」ではない

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金銭的な格差だけでなく、メリトクラシー(能力のある人々による支配)という問題が指摘されています。

成功者は、それが自分の能力だと過信してしまいますが、現実には能力だけでなく、運や育ちの良さから、文化的・教育的な環境が左右されているわけです。でも、そこは忘れられています。マイケル・サンデルが『実力も運のうち』で述べたとおりです。

日本でも、国立大学の初年度の費用は、入学金と学費をあわせて100万円近くになります。これ以上格差が広がると、社会の活力がなくなっていくのは明らかです。

アメリカ社会は、流動性が極めて落ちています。実力主義が極度にまで達すると、大学入試でも単に学力が高いだけでなく、高校時代にボランティアをやっていたというような、「人間力」などの基準を求められることになります。

このような課外活動は、アルバイトで学費を稼いでいるような学生には難しい。そうなると、豊かな家の子どもでなければいい大学に行くのはきわめて困難になってします。

なにより、文化的素養がないと、貧困から抜け出せなくなります。貧困とは文化的貧困です。人材流動性を高めるためには、あらゆる人が一定の水準の教育を受けられるようにしなければなりませんが、日本もアメリカもそうはなっていません。

インターネットの「平等」が格差を生む

途上国には、学ぶ意欲はあるが、お金やPCがないという子どもがたくさんいます。一方、日本は、学ぶ意欲さえあれば、奨学金などが準備されています。

しかし、問題は、学ぶ意欲のない子どもです。アフリカにも、意欲がない子どもはたくさんいて、麻薬の密売人などになってしまうケースもあります。日本でも貧困から抜け出せない若者の多くは、学ぶ意欲がありません。

ですから、問題は「学ぶ意欲はあるが貧しくて学べない優秀な若者をどうするか」ではなく、「文化的貧困のために、学ぶ意欲のない若者が大勢いる現状をどうするか」ということになります。

単にEラーニングなど、インターネットで道を開くだけでは解決にはなりません。インターネットは自分で情報を取りに行かなければならない世界ですから、結局は、リテラシーの高い人でなければいい情報を得られません。

日本は、識字率は100%ですが、読解力のない人が多いとわかっています。誰もが読めるはずの国語の質問を、実は、中高生の3割が読めていないのです。そういう子どもたちに、Eラーニングで大学を目指そうと言っても難しい話です。

また、いろいろな援助や給付金制度がありますが、当事者がそれを知らないということも少なくありません。身の回りには、パチンコやゲームに没頭する人ばかりで、そういう情報を教えてくれる人がおらず、役所に出向くという発想もない――文化的に貧困であるというのは、そういうことなのです。

さらに、インターネットでは、人間関係の格差も生まれます。SNSで誰をフォローしているかによって違いが出て、なかには陰謀論に染まってしまう人もいます。

インターネットは平等ですが、平等であるがゆえに、たちまち格差化する。これは人間社会の宿命でもありますね。それをテクノロジーで乗り越えられるのかは、まだわかりません。

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