お友だちがその母親に訴えたことは幸いでした。一方に悪意がなくとも他方にとってはとても嫌なことを一人で抱え込んで、関係がこじれるケースが多いからです。
息子には、自分にとって可愛いヒヨコでも、友だちにとっては特別なものではないこと。だからヒヨコの喜ぶ顔が見たいのは自分だけであることを説明すると納得し、即中止になり解決しました。いじめる意思がない加害者に、いつでも誰でもなり得るという教訓でした。
「違い」を尊重できる子供を育てる
子供の頃のイジメや、大人になってからの差別は、些細なことや無知、そして過去の為政者の亡霊によってつくられます。何百年も前に、為政者にとって都合がよいからとつくられた封建制度は、被差別部落差別、戦時中につくられた民族差別、病気その他の社会的弱者への差別などを生み出し、事例を挙げればキリがありません。そしてこれらの人々に対する無関心も差別を助長してきました。
前にも少し触れたのですが、我が家の子供たちの先生がたは、とても解りやすい言葉で小学生低学年の子供たちに、差別やイジメは絶対ダメだと教えていました。
「チューリップだけの花壇より、いろんなお花がいっぱい植えてある花壇の方が長持ちするし綺麗だし飽きがこないでしょう?毎晩日本料理ばかりの夕食より、中華や朝鮮・イタリアンが混ざった夕食の方が楽しみでしょう?」
「『皆と同じ』より『違うということが素晴らしい』と考えましょう。違う国のことや違う環境にいる人のことが学べる機会だし、私たちが知らない良いことや不便をいっぱい教えてもらえる機会だと考えましょう。」“みにくいアヒルの子”も取り上げて、先生は「みんな同じ」より「一人一人違うことがすばらしい」ことを力説されました。
「知らなかったことで人を傷つけてしまうことがよくあります。足を踏んだ人は痛くないからすぐに忘れるけれど、踏まれた人はとても痛く、その痛みはなかなか忘れられません。優しい人になるためには、何が足を踏む行いと言葉なのかを勉強しなければなりません」。
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