批判噴き出す「資本主義」は結局、何が問題なのか 財界トップも言及、再注目「宇沢弘文」の思想

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中央集権的な計画経済は、いずれも国家権力の肥大化が著しく、しかも、その行使が往々にしてきわめて恣意的なかたちでおこなわれてきた。市民的権利は最低限の生存に限定され、一般の市民に賦与される自由も最低限に抑えられていた。

過去70年にわたる社会主義諸国の経験が明白に示すように、計画経済は、中央集権的な性格を持つものはいうまでもなく、かなり分権的な性格を持つものについても、例外なく失敗した。

その原因は一部分、計画経済の技術的欠陥にあったが、より根元的には計画経済が個々人の内発的動機と必然的に矛盾するということにあった。一般の市民の生活水準もまた、期待にほど遠いものであって、大多数の人々がもっていた夢とアスピレーションは決してみたされることはなかった。

分権的市場経済のパフォーマンスも矛盾に満ちたもの

他方、分権的市場経済のパフォーマンスもまた矛盾にみちたものであった。実質所得と富の分配の不平等化、不公正化の趨勢は、さまざまな平等化政策、とくに累進課税制度がとられたにもかかわらず、止めることはできなかった。

市場価格と需要条件の変動はあまりにも大きく、ソースティン・ヴェブレンのいう「生産倫理」(Instinct of Workmanship)を貫くことはきわめて困難となってきた。利潤動機がつねに、倫理的、社会的、自然的制約条件を超克して、全体として社会の非倫理化を極端に推し進めていったからである。

と同時に、投機的動機が生産的動機を支配して、さまざまな社会的、倫理的規制を無効にしてしまう傾向がつよくみられるようになってきた。

このような状況のもとで、市民的自由が最大限に保証され、人間的尊厳と職業的倫理が守られ、しかも安定的かつ調和的な経済発展が実現するような理想的な経済制度は存在するであろうか。それは、どのような性格をもち、どのような制度的、経済的特質を備えたものかという問題が、私たちの考察の対象になるわけである。

この設問に答えて、ソースティン・ヴェブレンのいう制度主義(Institutionalism)の考え方が最も適切にその基本的性格をあらわしている。私たちが求めている経済制度は、一つの普遍的な、統一された原理から論理的に演繹されたものでなく、それぞれの国ないしは地域の持つ倫理的、社会的、文化的、そして自然的な諸条件がお互いに交錯してつくり出されるものだからである。

制度主義の経済制度は、経済発展の段階に応じて、また社会意識の変革に対応してつねに変化する。生産と労働の関係が倫理的、社会的、文化的条件を規定するというマルクス主義的な思考の枠組みを超えると同時に、倫理的、社会的、文化的、自然的諸条件から独立したものとして最適な経済制度を求めようとする新古典派経済学の立場を否定するものである。

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