三谷幸喜が前立腺がんの病歴を明るく振り返る訳 同じ不安を抱える人のために彼は立ち上がった

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本書『ボクもたまにはがんになる』では、医療の現実や、がん告知を受けて精神的、肉体的変化をさまざまに経験していく三谷の様子が、本人によってユーモアたっぷりに描写されている。

2015年、人間ドックの血液検査で、三谷のPSAの数値に微かな前立腺がんの疑いが出た。「こう見えてわりと刹那的に生きるタイプで、検査ってあまりちゃんとしてこなかったんです。大病をしたこともないし」(同書より)。だがちょうど前年のドラマの仕事で前立腺がんの知識があったため、グレーゾーンの数値ではあったが虫の知らせのようなものを感じた三谷は、取材で世話になった東京慈恵会医科大学泌尿器科の主任教授である頴川晋に相談をする。「とにかく確認のため、一度検査をしましょう」との頴川のアドバイスでMRI検査と生検を受け、その生検で早期の前立腺がんが見つかった。

生検では、「チャッカマンそっくり」の機械(バイオプシーガン)で前立腺の組織を採取。「肛門に入れたまま、12回、連打」「僕はわりといろんなことを経験してきた方だと思いますが、その『カチャッ!』の瞬間が人生でいちばん怖かった気がする」「実際の痛みはそれほどでもなかったんですが、未知の世界」「僕はこれまで人前でお尻を公開したことがなかったので、その衝撃というか、精神的なダメージはかなり大きかった」「でも、結果的に『生検』をして本当によかった」。

「前立腺がんですよ」とさらりと

「いつもの診察室で、(頴川)先生が生検の結果を見ながら『これは前立腺がんですよ』とさらりとおっしゃった。むちゃくちゃサラリと。鼻毛出てますよ、と言うくらいさらりと」
「よくドラマで、告知の瞬間、頭が真っ白になるとか膝から崩れ落ちるとか、色々ありますよね。全く違いました。淡々と受け止める感じ」

「診察室を出たら、まずとにかくみんなにみんなに言いたいという誘惑に駆られました。言いたい、そして反応が見たい」

実際に話したのは妻と、事務所の社長、そして当時の三谷が脚本の執筆真っ只中だったNHK大河ドラマ『真田丸』のプロデューサー。「この3人だけですね。告知を受けてすぐの段階でがんのことを話したのは。85歳になる母にも言いませんでした。全部終わってから話そうと思って」。

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