古代ローマに学ぶ効率的な「税システム」のあり方 「脱税」で崩壊したローマ帝国の歴史を紐解く
なぜ廃止されたかというと、占領地から税を徴収することができたからです。
征服した土地を一旦、ローマの領土に組み込み、その土地を現地の住民たちに貸し出すという形で、税を徴収しました。そのためローマには各地から税として、貴金属や収穫物などが集まり、それだけで国を維持できるようになったのです。
占領地には過酷な税を課す
ローマは、征服地の税に関しては、ローマの決めた税を押し付けるようなことはせず、従来その地域で行われていた税を徴収しました。この硬軟を織り交ぜた占領政策により、広大な領土を統治できたのです。しかし、ローマの比較的穏便な占領政策は、共和政末期に崩れ始めます。
占領地からの豊かな貢ぎ物に最初は満足していたローマ市民たちも、時を経るごとにその要求は強くなっていき、紀元前130年ごろ、ローマの属州に対して「収穫税」を課すようになりました。しかも、この収穫税は、徴税請負人に委託して徴税業務を行わせたのです。
徴税請負人は、あらかじめローマ政府から5年分の徴税権を買い取るという仕組みでした。政府としては5年分の前払いを受けられるので、目先の収益は増えます。が、その分、徴税請負人に「前納割引」をしなければならないので長期的にみれば減収となるのです。
そして、この徴税請負制度の最大の欠点は、「徴税請負人の権力が肥大化していく」ということです。
徴税請負人には、莫大な資金力が必要となるため、徴税請負人たちが結託して会社組織のようなものをつくりました。これは世界最古の会社だとされています。
この徴税請負会社には、投資者と徴税請負人の間には明確な区分があり、この点も、現在の株式会社に非常に似ています。
徴税請負会社はローマ政府に莫大な徴税権代金を払っているのだから、当然のことながらそれ以上の税を得ようとします。徴税請負会社には、属州に対して強制的に税を徴収する権利が与えられており、徴税業務は過酷を極めることになりました。
しかも、徴税請負会社は直接徴税することをせず、各属州で現地の下請け徴税請負人を雇うようになります。つまり、属州の住民は、徴税請負会社と現地の徴税請負人の両方からマージンを取られるようになったのです。
当然、税負担は跳ね上がります。その結果、反乱を起こす属州も出てきました。
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