ここで1つ言及しなければならないことがある。それはこれらのエピソードを、ヒサオさんはすべて「過去の失敗談」として語ってくれたことだ。すなわち、現在は自らの振る舞いを失敗として自覚しているということになる。では、なぜ当時は気づけなかったのか。私が尋ねると、ヒサオさんは「そりゃあ、発達障害と診断されてから、ありとあらゆる本を読んだり、自助会に参加したりして勉強したからですよ」と即答した。
発達障害の人は、こういう場合はこのように振る舞うべき、あるいは振る舞うべきではないということを、一種の知識に近い形で習得しているのかもしれない。
ヒサオさんは、職場で手が空いたときは周囲に「お手伝いすることはありませんか」と声をかけたほうが人間関係がスムーズにいくことや、人との会話では自分ばかりが一方的にしゃべるべきではないこと、酒席で上司が隣に座ればお酌の1つもしてみるといったことを、1つひとつ知識として身に付けてきたのだ。
発達障害の人にしてみれば、定型発達の人間がつくった“常識”に自分を合わせていくのは、それはそれで大変な作業にちがいない。
ヒサオさんは、自分が発達障害とわかってからは、障害者雇用枠での就職に切り替えた。40歳を過ぎたころに大手家電メーカー系列の会社に就職、以来同じ職場で働いている。仕事が長続きするようになったヒサオさんを見た両親は再び同居を許してくれた。また、最初は契約社員だったが、数年前には法制度にのっとり無期雇用社員になることもできた。
「ときどき無性に辞めたくなる」
一方で仕事はシール張りや袋詰めといった単純作業。工場内の片隅をパーテーションで仕切った小さなスペースで、終日1人で仕事をしている。上司とのやり取りにも携帯を使う。無期雇用社員は正社員ではないので、最低賃金水準の時給制であることは変わらない。このため、年末年始やゴールデンウィークといった祝休日の多い月は、月収が10万円ほどになってしまう。福利厚生もとくに手厚くなったわけではない。
現在、ヒサオさんはノートに日々の作業内容と、いつ、どんなミスをしたかを記録している。さほど日数がたたないうちに同じミスをしている場合は、注意力が散漫になっている証拠なのであらためて気を引き締める。また、作業スピードは遅すぎてもダメだし、早すぎてもミスの原因になるので、ノートを基に一定の効率を保つようにしているという。
今の仕事については100%ではないかもしれないが、満足しているのだろうか。
「たしかに自分から辞めると言わない限り、基本的には定年まで今の会社で働くことができるようになりました。でも、ときどき無性に辞めたくなるときがあります」
いったいどんなときに辞めたくなるのか。ヒサオさんによると、工場内であいさつをしても返してくれる人がほとんどいない。遠巻きに「あの人、やばいよね」と指をさされたことや、すれ違いざま「クサッ!」と言われたこともあるという。
「僕は見た目もブサメンだし、(職場では)障害のこともオープンにしているので、そういう陰口をたたかれるんだと思います。優しくしてくれとはいいません。ただあいさつしたら無視はしないでほしい。将来の希望ですか? 死ぬときに人間として生まれてきてよかったと思いたい」
貧困がテーマの連載で、発達障害の人に取材をする理由。当事者に話を聞くたびに考えてしまうのだ。不安定で低賃金の仕事に就かざるをえない発達障害の人と、「少し変わった人」を必要以上に排除する定型発達の人。本当に貧しいのは、どちらなのかと。
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