4年制の私大を卒業した後は、地元の金融機関に就職。しかし、女性社員と一緒に定時で帰宅しようとしたところ、上司から「お前は女か。どうして残って仕事を教わるなり、自分から仕事を覚えようとしないんだ」と叱責された。当時は今以上に男性は総合職、女性は一般職という差別的なすみ分けがなされており、男性は幹部候補としての働きが期待された。
そうした空気が読めないヒサオさんはいつまでも“指示待ち社員”のまま。上司から連日小言をくらうが、何をどう改めればよいのかがわからないのでヒサオさんのストレスもたまる。ある日、上司から「やる気、あるのか!」と怒鳴られ、「やる気ないって、言ったらどうするんですか?」と口答えしたところ、激高された。結局半年間の試用期間が終わったところで、解雇を言い渡された。
その後、コミュニケーションが苦手な性格を変えたいと、飲食店で働いてみたこともあったが、料理の説明はおろか、「いらっしゃいませ」という言葉も出てこなかった。事務仕事では、電話対応に苦労した。用件を聞き、保留にして、社内の人間に取り次ぐという一連の作業ができないのだ。営業社員だったときは、日報にバカ正直に「喫茶店で休憩」と書いてしまい、その日、一緒に外回りをしていた先輩をあきれさせた。
このため、数カ月でクビになることもざら。20代後半からは正社員の仕事が見つからなくなり、アルバイトとして工場での商品包装や倉庫内作業といった仕事をするようになった。しかし、ここでも張るべきシールを間違えて何十個もの不良品を出したり、伝票を読み間違えたりといった単純ミスを繰り返す。配送ドライバーの仕事では、年下だが、勤続年数が長い同僚のアルバイトにため口で指示を出されたことに納得できず、激しいけんかになったこともあった。
「甘えているだけ」と厳しかった両親
ふと私がヒサオさんのような部下を持ったらと、考えてしまう。子ども時代のいじめは論外だが、仕事上のミスは叱責せざるをえないだろう。それでもミスを繰り返されたら、私もどうしていいのかわからなくなると思う。
実際、多くの職場で「ボーッとしてないで仕事を探せ」「自分の頭で考えて動いて」とダメ出しされた。もっともな指摘だ。一方で「ほんとに大学出てるのか」「そんなんだから彼女もできないんだ」「ダメ人間」「土下座しろ!」といった暴言を吐かれたこともあった。
仕事が続けられないヒサオさんに対し、両親は「甘えているだけ」「頑張りが足りない」と手厳しかった。30歳を過ぎたら、実家を出て独立するよう言い渡された。問答無用で実家を追い出され、1人暮らしを始めてからは、最低賃金水準のアルバイトや短期間の派遣などで、死に物狂いで働いたという。会社側が求めるまま深夜や週末の残業もこなしたが、結局は自分から辞めたり、クビになったりの繰り返し。
ついには過呼吸やめまいといった症状が表れ、メンタルに不調をきたした。救いだったのは、最後は両親が経済的に支援してくれたこと。ヒサオさんは「孤独でしたし、1日1食という日もありましたが、最悪借金をしたり、ホームレスになったりということはありませんでした」と打ち明ける。
自分は先天的にどこかがおかしいのではないか──。思い悩んで心療内科を受診したところ、発達障害と診断された。どちらかというと父親よりも激しい言葉でヒサオさんのことを責めていた母親は診断結果を聞き、「今までごめんね」と号泣したという。
今でも両親は、ヒサオさんが発達障害の話題を持ち出すことを嫌がる。それでも、なんとか理解しようとしてくれていると感じると、ヒサオさんはいう。
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