全身麻酔「世界初成功は江戸時代の日本人」の凄さ 命がけで開発に挑んだ「華岡青洲」夫婦の物語
青洲の妹、於勝(おかつ)が医院を訪れたのはそんなときである。青洲が横たわった妹の胸を触診すると、大きなしこりがすぐに見つかった。乳がんだ。
「どうして、こんな大きさになるまで放っておいたんだ!」
青洲が声を荒らげると、妹はふっと笑って言った。
「乳がんですもの。助からないでしょう。ねえ、兄さん、だから、私の身体を使って。胸を切り開いて、がんの正体を突き止めて」
「何を言ってるんだ……痛みと出血で死んでしまうぞ!」
「もう今だって痛みでどうしようもないの……お願い」
加恵は部屋の外でその声を聞いていると、そばにいる青洲の母、於継が「於勝……」と泣き出した。強く見えても、娘の前ではただ一人の母親なのだと、加恵もまた涙ぐんだ。
青洲が病室から出てくると、於継が駆け寄る。
「何とかできないのかい」
「あれだけ大きなしこりを取り除くには、麻酔薬がなければ、手術はできない」
青洲は力なくそう言って「少しでもそばにいてやってくれ」というのみだった。数日後、痛みに苦しみながら、於勝はこの世を去ることとなった。
それからも青洲は実験を繰り返し、動物ならば確実に眠らせることに成功していた。どこを刺そうが熟睡して動かない犬を見て、加恵は興奮気味に言った。
「あなた、これだけキリで突っついても、起きないわ!麻酔薬ができたのね!」
青洲は喜びもせずにまた腕組み
だが、青洲は「うむ」と言ったきり、喜びもせずにまた腕組みをして考え込んでいる。その様子を黙ってみていた、於継が口を開いた。
「ついに、このときが来ましたね。青洲、私を使いなさい」
「母さん……」
ぽかんとしている加恵をよそに、於継が手術の部屋に入っていく。
「加恵さん、あとのことはよろしくね」
加恵が「な、何をおっしゃってるんですか!」と慌てると、於継は何気ないふうを装って穏やかに言った。
「もう動物実験は終わり。ここからは人に効くかどうかを試さないと。青洲、そうでしょう?」
「そうだけど……だめだ。これは危険な実験なんだ」
「だからこそ、私がやらないでどうするんですか。もう十分生きたからよいのです」
加恵は「そんな……」と思わず絶句しながら、嫁入りしてから於継と過ごした日々が自然と思い返された。厳しかったけれど、医師の妻としてあるべき姿を教えてくれた於継に、加恵は憧れさえ抱いていた。
そして今、誇り高き姿で於継は布団の上に座っている。
「さあ、さっき犬に飲ませたその薬の量を調節しなさい。ここまでよくやったじゃないの。もう少しよ」
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