全身麻酔「世界初成功は江戸時代の日本人」の凄さ 命がけで開発に挑んだ「華岡青洲」夫婦の物語

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「しかし、あれだけ暴れられると、手術に時間がかかって、患者の身体への負担が大きくなってしまう」

患者の悲鳴を聞くだけで、加恵などは身がすくんでしまう。その点、青洲の母、於継(おつぎ)は肝が据わっている。以前、せめて手術の準備だけでも手伝おうと、まごまごしていると「手を出してはだめ!」と一喝されてしまった。青洲は医師の父からこの医院を継いでいる。加恵にとって、於継は医師の妻として見習うべき存在だった。

「やはり麻酔薬だ。麻酔さえあれば、状況は変えられるんだが……」

ようやくお茶に手をつけた青洲が天井の角をにらみながら、自分を奮い立たせるように言った。

「麻酔薬……ですか?」

「ああ、麻酔薬さえあれば、眠っている間に手術は終えられる。患者は激痛に耐えなくていいし、医師は手術に集中できる」

そんな魔法のような薬があるわけがない。初めはそう思ったが、青洲の熱弁を聞いているうちに、可能なのかもしれないと思えてきた。必要なのは「マンダラゲの花」。強い毒性を持つが、それゆえ「使い方次第で、薬にもなる」と青洲はいう。

その日からというもの、青洲は犬や猫を使って実験を繰り返した。マンダラゲの花で麻酔薬を作り、犬に飲ませると、まもなくして眠りについた。

「あなた、眠ってるわ!」

「うむ、だが……」

青洲が犬の足にプスリと針を刺すと、キャインと鳴いて、その場から慌てて逃げてしまった。

「この程度の刺激で起きてしまうようじゃ、とても手術はできない。かといって、あまり刺激が強すぎると死んでしまうしな……」

何匹かの犬や猫は死んでしまった。それでも青洲はさまざまな薬草を混ぜながら、その量の割合を変えて研究を進めていく。その姿を加恵はそばで見守ることしかできなかった。

「センキュウにトウキ、それにビャクシも混ぜてみるか……」

病室からはいつもの叫び声

そんな実験を行っている最中にも、患者は運び込まれてくる。家族は必死の形相で青洲に頭を下げる。

「先生、お願いします!」

「わかりました。ちょっと我慢してくださいね」

青洲は患者に縄の切れ端を渡して、それをくわえさせる。少しでも痛みに耐えられるようにするためだ。

「グググ…… ぎゃっ、痛い!やめて……やめてくれー!」

病室からいつもの叫び声が聞こえてくる。思わず耳をふさぎたくなる加恵だったが、唇をぎゅっと噛んで、患者の叫び声を聞いていた。夫は患者のそばでこの悲痛な叫びを聞きながら、手術に励んでいる。そう思うと、自分だけが耳をふさぐわけにはいかないような気がしたのだ。

だけど、もし、こんな思いをせずに患者が手術を受けられるならば、どれだけ良いことだろう……。加恵もまた青洲と同じく麻酔薬の実現を夢見るようになった。

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