テニス選手に告発された中国前副首相の「過去」 「目立たず、波風立てず」で共産党幹部に出世
35歳の彭が11月2日夜に人気のソーシャルメディア微博(ウェイボー)で行った告発は、そうした共産党エリートの過度に甘やかされた私生活に光を当てるものといえる。
張に向けた彭の投稿によれば、2人が出会ったのは10年以上前。彭のキャリアが軌道に乗り、張の出世が頂点に近づきつつあるころだった。当時、張は北部の港湾都市、天津市のトップである党委員会書記をしており、政治的な立場上、妻とは離婚できない、と話していたという。
張は共産党の最高指導部である政治局常務委員会メンバーになると、彭との連絡を絶った。張は政治局常務委員を5年間務め、2022年北京冬季オリンピックの準備活動を監督する役割も担った。
鄧小平の後継者、江沢民のお気に入り
3年ほど前、政界から退いた張氏はテニスアカデミーの責任者に電話して彭を呼び出し、党が引退した幹部をもてなすために北京に所有している「康明」というホテルで一緒にテニスをした。
その日、張の自宅で性行為を強要されたと彭はつづっている。2人は関係を再開したが、この件について誰にも気づかれないようにと彭はきつく念を押された。彭は張の住む北京の政府施設に入るために、車を乗り換えなければならなかったとも記している。あなたの母親も含めて誰にも口外してはならない——。張からは、そう警告されたという。
品行方正で通っていた張は、世界的なスキャンダルの当事者になるとはまったく思われていなかった人物だ。張は文化大革命後に台頭した世代の役人。現国家主席・習近平の前任、胡錦濤の集団指導体制で見られた「控え目をもってよしとする」時代精神を身にまとっている。
彭が問題の投稿を行う前日に75歳になった張は、福建省の漁村の生まれで、国営メディアによると、幼いころに父親を亡くした。福建省の厦門大学で経済学を学んでいたが、文化大革命のために学業は中途断絶せざるをえなくなった。毛沢東が大学をほぼ全面的に閉鎖したためだ。
1970年に配属された中国南部の油田で最初に携わったのは、セメント袋を運搬する仕事だったと国営メディアでは紹介されている。
その数年後、管理職に昇進。鄧小平などの指揮の下、中国が改革開放時代に突入すると、経済に明るく、大学で経済学をかじった役人が抜擢されるようになり、張もその仲間入りを果たした。張は組織人としての保守的な振る舞いに磨きをかけ、党中枢の歯車となることで出世の階段を粛々と登っていく。