商品テストの注意喚起は、いいものをつくってほしかったから 『「暮しの手帖」とわたし』を書いた大橋鎭子氏(暮しの手帖社社主)に聞く
--戦時下での反省もあったようですね。
花森さんはまじめに生きた人。大政翼賛会にいた時も一生懸命働いた。死ぬ前に記者に話している。自分はたぶん戦犯の1人だと思うけれども、そこはみなさんのために一生懸命働くということで、せめて執行猶予にしてもらっていると。
家庭がもっとしっかりしていれば戦争も起こらなくて済んだ。家庭をしっかりさせよう。そのヒントをわれわれは提供することができないか。その考え方から『暮しの手帖』づくりは発している。外見はいかついが、すばらしい人だった。
--ちょっと考えられない視点を持っています。
こんなエピソードを思い出す。この色の生地を買ってこいという。それと少しの色の違いも許さない。見つけられず、その指定の色に染めたもので、ようやくOKを得た。実は、誌面は白黒写真しかない。しかしいわく「キミたちは色の感覚がない。いずれカラーの時代がくる。いまから訓練していなければ」と当たり前のように言う。
--そもそも、ご自身はなぜ出版を。
自分に何があるかと考えたら、知恵しかない。知恵を売る商売をしようと。それを花森さんに言ったら、それはいい。手伝ってやろうと。『暮しの手帖』の前に出した『スタイルブック』の小さな新聞広告を、今でもそらんじている。「たとへ一枚の新しい生地がなくても、もっとあなたは美しくなれるスタイルブック 定価十二圓送料五〇銭」。
当時、銀座に会社はあったが、広告を見て最寄りの新橋駅から予約するための行列ができた。最初はそうとは気がつかなかった。この行列は4階建てビルの私たちの部屋まで続いていた。