もう限界「紅白歌合戦」そろそろ終わっていい理由 懐メロ&ジャニーズ路線も限界にきている
それでも、盛り返すチャンスはあった。いわゆるゼロ年代の半ばだ。
まず、第54回(2003年)において、危機感をあおられるような出来事が起きた。毎分視聴率で計4分間、TBSの格闘技中継に抜かれたのだ。相手は「ボブ・サップ対曙」戦。紅白で歌っていたのは、長渕剛だった。
長渕といえば、2部制導入2年目の第41回(1990年)に初出場。ベルリンの壁からの中継で16分間もマイクを独占して物議をかもした男だ。いわば「別物紅白」の象徴的存在が13年ぶりに戻ってきて、歴史的屈辱の当事者になったわけである。
さらに、翌年7月、NHKの芸能番組を担当していた元チーフプロデューサーが数年にわたって制作費などを着服していた不祥事が明るみに出た。これが世間の批判を招き、最終的には当時の会長が辞任する事態となった。
こうした流れもあいまって、この年の紅白(第55回)では改革的な試みが行われることに。毎年実施されている「紅白に出てほしい歌手」のアンケート結果を公表し、上位には出演交渉をすると宣言したのだ。
ちなみに、ベスト5には白組で氷川きよし、SMAP、北島三郎、五木ひろし、平井堅、紅組で天童よしみ、宇多田ヒカル、柴咲コウ、坂本冬美、浜崎あゆみが入った。このうち、辞退したのはSMAPと宇多田、柴咲で、6位以下ではサザンオールスターズ(白組6位)や松田聖子(紅組12位)、Mr.Children(白組12位)も辞退している。
ただ、この試みもむなしく、この年の視聴率はついに40%を切った。しかも、本番中には紅白衰退の原因を浮き彫りにするような発言が飛び出すことに。審査員のひとりだった橋田壽賀子が感想を聞かれ、こう語ったのである。
「スキウタ」で起死回生を図るも…
「私、今まで歌ってくださったの、1曲も知らないです。1曲も知らない、もういかに(自分が)時代遅れかわかりました」
タイミングとしては、56組中17組が歌い終わったところ。実際、その時点ではその年のヒット曲らしいヒット曲は河口恭吾の「桜」くらいだったし、誰もが知る懐メロも歌われていなかった。彼女自身は自虐ネタのつもりだったはずだが、かなりの人が橋田に共感したのではないか。「時代遅れ」というか、時代とズレていたのはむしろ紅白のほうだったのだ。
そんな状況を打開すべく、翌年の第56回に向けて、NHKはさらなる改革的試みを行った。「スキウタ~紅白みんなでアンケート~」である。戦後60年の歌を対象に、はがきや携帯電話、パソコン、データ放送を通じて「紅白で聴きたい曲」を投票してもらい、その結果を出場歌手や曲目の選考に反映させようとしたわけだ。
これはそれなりに注目されたが、大成功とまではいかなかった。まず、中間発表の段階で組織票疑惑が発生。たとえば、上位20曲に橋幸夫の持ち歌が3曲入ったりした。とはいえ、彼も一時代を築いた歌手だし、最終結果でも紅組22位に吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」白組68位に「潮来笠」が残っている。その気になって、着物を新調したともされるが、紅白には呼ばれず「もう二度と出ない」とぼやいた。
ほかにも、紅組上位20曲に2曲が入った中森明菜が落選するなど、アンケート結果がそれほど反映されていない印象がもたらされることに。しかも、これについてプロデューサーは「全部リクエスト曲にすると『あなたが選ぶスキウタトップ100』みたいになり、紅白でやる必要がなくなってしまう」と説明した。こうして、制作側の思惑もしくは事情と視聴者側の期待のあいだに「ズレ」があることも垣間見えてしまったのだ。