「野球は男のスポーツ」壁を打ち破った彼女の人生 女子野球の未来を切り拓く履正社高の橘田恵監督

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「鈴木さんの記事を読んで、私もそんなふうに世界で野球をしたい、と思うようになりました」

うつうつとして楽しまなかった橘田に、新たな目標ができたのだ。

(写真:筆者撮影)

小野高校は旧制中学の流れをくむ進学校だ。両親は「国立大学に行け」と言った。トレーナーとして野球に関わりたいと願望があった橘田は、鹿児島県の鹿屋体育大を受験した。

「センター試験ではそこそこ点を取ったのですが、実技が問題でした。野球の実技がなかったんです。そこでサッカーで受けました。でも、全然やっていなかったから合格できなかった。鹿屋体育大が天皇杯にも出場するサッカーの強豪校だったのを知らなかったんですね(笑)」

橘田は、偶然知り合った野球指導者の伝手で、仙台大学に進む。仙台大学硬式野球部は仙台六大学野球に所属し、馬場皐輔(阪神)、佐野如一(オリックス)などの選手も輩出している。

野手としては初の公式戦出場

この時期、東京六大学では小林千紘(明治大学)と竹本恵(東京大学)という2人の女子選手が公式戦に出場して話題になっていたが、橘田はこれに続いて2001年8月24日、仙台六大学リーグ秋季新人戦一回戦、宮城教育大学との試合に、「9番・二塁手」で先発出場した。東京六大学の2人は投手だったから、野手としては橘田が史上初。メディアの取材も受けた。

また、この時期、日本女子代表のトライアウトも受けている。

「高校生のときにも代表のトライアウトを受けたのですが落選しました。大学では片岡安祐美選手と最後の2人にまで残ってノックを受けましたが、選ばれませんでした」

その後、橘田は練習で骨折したり、3年のときには肩を痛めたりして、公式戦出場はなかった。野球部で練習や選手のサポートを続ける日々だったが、次第に橘田の胸にはまた、ぽっかりと青い空が開くようになった。

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