「野球は男のスポーツ」壁を打ち破った彼女の人生 女子野球の未来を切り拓く履正社高の橘田恵監督

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「鈴木慶子さんのように、海外で野球をしたいという思いが強くなったんですね。大学を出たら海外で野球をしようと思っていろいろと調べ始めました。アメリカとオーストラリアで受け入れてくれそうでしたが、条件が良かったオーストラリアに決めました。

オーストラリアでは、男子と女子、2チームに所属しました。土曜日が女子、日曜日が男子のリーグ。男子はレベルが4つあって上から2つ目で、女子は2つのレベルの上のほうでした。住宅はホームステイで、車も貸してもらえました」

一人でこの話を決めて、監督に相談したら「単位は大丈夫なんだろ? だったら卒業を待たずに今から行けよ」と言われた。彼女の鬱屈した思いを、監督も察していたのだろう。

苦労した英語もだんだんわかるように

「4年生の8月からオーストラリアに渡りました。費用はコツコツ貯金した資金と親の仕送りをそのまま充てました。8月の後半から翌年4月まで7カ月で60試合、ときどき平日も試合がありました。州代表トライアウトにも合格して、州代表にもなりました。最初は英語で苦労をしましたが、3カ月たったら言っていることわかるようになりました。

褒められていることはあまりわかりませんが、注意されていることは案外わかるんですね(笑)。ストレスで頭禿げそうやな、やばい、でもしゃべれないから言い返せない、みたいな状況でした。でも、だんだんに話ができるようになりました。私は遊撃手だったので、投手や他の内野手とコミュニケーションをとらないといけない、それがラッキーでしたね」

得難い経験をして帰国、大学卒業時には新しくできた女子社会人チームにオーストラリアの4人の選手とともに入団。

半年は日本、半年はオーストラリアという生活を2年繰り返した。痛めた肩も、温暖なオーストラリアでプレーするうちに全快、選手としてはまだまだ働けたが、橘田は2年で現役引退を決意、指導者という新しいステージに進んだのだった。

(続く)

広尾 晃 ライター

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ひろお こう / Kou Hiroo

1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」を執筆している。著書に『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』『巨人軍の巨人 馬場正平』(ともにイースト・プレス)、『もし、あの野球選手がこうなっていたら~データで読み解くプロ野球「たられば」ワールド~』(オークラ出版)など。

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