今は、共働きも当たり前の時代だ。“男は稼ぐ人、女は家を守る人”というのは、昭和の時代のこと。ダブルインカムで、家事や育児は分担してやっていくと考える人たちも多い。
「新居は、お互いに会社に行きやすい中間の地域を当たり始めました。残業などで帰宅が遅くなったときのことを考えて、駅近で、深夜までやっているスーパーがあるような場所を探しました」
婚約指輪も贈り、結婚式場を決めるためにホテルが開催するブライダルフェアに参加したりと、着々と準備が進んでいった。そんなとき、さとみの海外赴任の話が持ち上がった。
「キャリア志向がとにかく強かったから、『会社が与えてくれるこのチャンスを逃したくない』と言い出したんです。赴任は3年くらいになるとのことでした。最初は『入籍して、3年は別居婚をしたい』と。そうすると僕は38になっちゃう。けど、まあそれも仕方がないかな、と思っていたんです。ところが、正式に赴任を決めたら、『やっぱり3年離れて暮らすのは現実的ではないし、結婚はいったん白紙にしましょう』と言い出した」
結局、結婚より海外赴任を選んだ彼女
付き合っていた年数は1年。それより長い年数の別居婚は、まさやも不安だった。長期休暇に自分が遊びに行ったり、相手が帰国したりするにしても、3年という月日の間、心変わりをせずに夫婦でいられる自信もなかった。
「それに何より、海外赴任の話が持ち上がってからというもの、彼女の関心はそちらに向いてしまって、結婚への興味が薄れていくのを日に日に感じていたんです」
親にも相談した。昭和生まれの父親からは「彼女は家庭的なタイプではないから、結婚をしたとしても良い奥さん、良い母親にはならないんじゃないか」と、専業主婦だった母親からは、「今は女性も仕事をする時代だけれど、結婚したら仕事よりも家庭を優先させないと、子どもが産まれたときに子どもがかわいそうよ」と言われた。
結局、婚約は解消になった。結婚式場も新居も探している最中で、まだ決まっていないのが幸いだった。いろいろなことが白紙になっていくなか、さとみから『婚約指輪の代金を返金するので、口座番号を教えてほしい』という連絡が来た。
「まあ、金額も大きかったので返してもらえたのはよかったけれど、“立つ鳥跡を濁さず“というか、ずいぶんドライなんだなって。僕のことが好きだったのではなく、自分の人生設計のために、誰とでもいいから結婚をしたかったんじゃないか、と思ってしまいましたよ」
婚約を解消した後、まさやは結婚を特別焦る気持ちもなく、ゆるい婚活を始めた。気持ちのどこかで、結婚相手はすぐに見つかるだろうと高をくくっていたのだ。しかし、合コンに出たり、婚活パーティーに参加したりしたものの、なかなか結婚できる相手には巡り会えずにいた。
「連絡先を交換して、そこから一、二度会うんですが、その先が進まない。あっという間に2年が経って37になり、さすがに焦りが出てきた。子どもを授かるなら40前には結婚したい。そこで大手の結婚相談所に入ったんです」
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