「アンチ衛生パス」運動で揺れるマクロン大統領 自由と進歩が民主主義から遠ざかるフランスの実状

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もっとはっきり言えば、マクロン体制とは既得権益をもつブルジョワジー、政治家、メディアの所有者、弁護士、スターなどの名望家によって人為的につくられた体制だということになる。マクロンは、ナポレオンはナポレオンでも、ボナパルトではなく、ブルジョワたちに囲まれていた甥のルイ(ナポレオン3世)のほうだということだ。それは、寡頭制、すなわちオリガーキーによる支配体制である。

マクロンはロスチャイルド銀行や、LVMH(ルイ・ヴィトンを傘下にもつ企業)のベルナール・アルノーなどから利益を守るように頼まれた、作り上げられた偶像かもしれない。そう考えると、彼の新自由主義的政策の先にあるものが見えてくる。毛並み、出身校、経歴、何よりもその尊大さを見れば、彼が既得権益をむさぼる人々によって、大統領として送り込まれたことが、はっきりと理解できるかもしれない。塗り固められた彼に関する神話は、彼は生まれたときから大統領になるよう運命づけられていたのだという幻想を広めるためにも、必要だったのである。

「黄色いベスト運動」が広がったのはなぜか

しかし、マクロンはすぐにつまずいた。彼が就任後行った燃料税引き上げ、連帯富裕税の廃止は、貧しい人々を直撃した。地方の名もなき貧しい人々が声を上げ始めたのだ。燃料税引き上げは、生活に直結する。物価が上昇し、生活が困窮する。しかし、その一方で富裕者がその社会的責任として補ってきた連帯富裕税は、下がるというのだ。

これでは「貧しいものはより貧しく、豊かなものはより豊かに」ということである、と怒ったのは当然であった。パリではなく、地方から始まった「黄色いベスト運動」は、旧来の左派や、あるいは極右が組織的にしかけたものでもなかった。自然の抵抗であったともいえる。旧来の左派はしり込みをしたため、この運動はポピュリスト運動ではないかと非難されることにもなったが、運動は盛り上がりを見せ、2020年2月にコロナ騒ぎでロックダウン政策がとられるまで続く。

マクロンはコロナに救われたともいえる。しかし新しい動きが、コロナがワクチンによって落ち着き始めたころから再燃する。今度は、国家権力に対する抵抗という形で出てくる。ワクチン・パスは、国民の動きをすべて国家が管理する社会への始まりだと懸念する人々にとって、何度か行われたロックダウンと同じような国家による監視政策に見えたのである。

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