「アンチ衛生パス」運動で揺れるマクロン大統領 自由と進歩が民主主義から遠ざかるフランスの実状
独立系の『ル・モンド・ディプロマティーク』の2021年8月号には、「西欧の中国へようこそ」(「デジタル独裁」)という記事が掲載されている。アンチ・パス運動は、ワクチンに対する効果への疑問の問題だけでなく、ワクチンによる国民総登録の問題として俎上に上がったのである。IT化が進むことで、生活が便利になる反面、個人情報が監視される危険性をはらむようになってきている。スマホをレジでかざすことで現金を使う必要がないことは、便利なことだとしても、自動的に誰が払ったかという個人情報がわかる。
こうした情報は保護されているという建前であるが、犯罪捜査などにかこつけて、国家がそれを見るチャンスをもっている。その国家が信用できないとしたら、それは、日常生活が監視されているジョージ・オーウェルの小説『1984年』の世界そのものだ。ワクチンが子供を含む全員に行き渡り、発行されたパスが全世界で使われるようになれば、もはやこの監視システムから自由になる場所はない。完全な監視社会が到来するのだ。
すでにロシアや中国になっていないか
確かにそれは考えすぎだという見方はある。国家権力が民主的にチェックされていれば、なるほどそうだろう。しかし、大統領はいまや国民から離れた貴族のようなセレブであり、近寄りがたい存在になっている。かつてサルコジの時代「民主君主制」という言葉があったが、それに近い社会に進んでいるともいえる。
マクロンは自由と進歩のための民主化といったが、皮肉なことにその自由と進歩がますます民主主義から遠ざかってきているのだ。左派や極左もその動きに十分対応できていない。だから、社会党のパリ市長アンヌ・イダルゴも、不服従のフランスの反資本主義新党のジャン=リュック・メランションも、反資本主義新党のオリヴィエ・ブザンスノもうまくこの運動とつながっていない。こうした国家権力に対する反対運動が、ポピュリズムだと誤解されていけば、むしろマクロンを倒すことなどできず、マクロンが2期目を迎えてしまうだろう。
しかしこうした動きは、フランスだけに限らない。とりわけリーマンショック以後、所得格差が広がる中、人々は生きることだけに必死になり、ここかしこで一部の人々によるオリガーキー政治が蔓延し始めている。今や社会は、トップ層のセレブのオリガーキー集団と、それ以外に分かれているのかもしれない。ロシアや中国を批判する中で、すでにわれわれのほうがロシアや中国になってしまっているのかもしれない。
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