能弁の渋沢栄一を丸め込む「大隈重信」驚く説得術 頭が切れるだけでなく「胆力」も併せ持つ
「青天を衝け」は、実業家・渋沢栄一を主人公にした大河ドラマであるが、物語は幕末から明治時代へと進み、新たな登場人物が現れる。その1人が、俳優の大倉孝二が演じる大隈重信である。
大隈は早稲田大学の創設者として有名であるが、その生涯は政治に捧げられたといっていい。外務大臣・内務大臣など要職を歴任したのみならず、総理大臣を2度務めたことからも、そのことがうかがえよう。何より、晩年の大隈自身が「その生涯はことごとく政治に捧げて来たのだ。(中略)極言すれば、政治はわが生命である」(『新日本』)と述べている。
明治政府への仕官を渋る渋沢を口説き落とす
さて、その大隈、前述のドラマにおいては、渋沢を凌ぐ多弁として描かれている。大声で「日本を創る場に立ってほしいのである」と、明治新政府への仕官を渋る渋沢を口説き落とす場面が印象的だ。
大正時代に録音された「憲政における世論の勢力」(大正4<1915>年)という大隈の演説が残っているが、その音声を聞いた限りでは、淡々としていて、それほど、能弁・多弁の印象は受けないが、同時代の人からは「冗舌」との評価を受けている。
ちなみに、先の演説においては、大隈は語尾に「あります」との言葉を多用している(大隈の口癖としては「あるんである」が有名である)。
それはさておき、明治2(1869)年、新政府に仕えよと命じられた渋沢だが、商法会所(静岡に設立された金融商社)の仕事がようやく緒につき、面白くなってきていた矢先であった。
しかも、新政府は、徳川の世を打倒した相手。最後の将軍・徳川慶喜に仕えていた渋沢としては「新政府など何だ」との想いもあったのであろう。仕官の話を拒絶しようと、東京に出向く。そして、大蔵省の次官ともいうべき大蔵大輔の立場にあった大隈に面会するのである。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら