能弁の渋沢栄一を丸め込む「大隈重信」驚く説得術 頭が切れるだけでなく「胆力」も併せ持つ

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大隈は当時、築地に住んでいた。12月18日に2人の会見が行われる。断固拒絶の立場の人間を説得するのは難しいものだが、最終的に渋沢は大隈に説得されてしまう。

渋沢いわく「大隈さんの為めに理の当然な急所を押さへられ、流石の私も辞退するの言葉に苦しんだやうな次第であった」(『青淵回顧録』)というほど、ある意味、追い込まれたのだ。渋沢は自ら「それ迄は大抵、私が半可通の知識を振り回して相手を説服したものであるが」(前掲書)というほど能弁であり、説得力に優れた人であったが、大隈はそれを上回るというのである。

聞く人の自尊心をくすぐる

まず、渋沢は「縁あって一橋家に拾われて一命を助けられ、徳川慶喜公の信頼を得て、民部公子(慶喜の弟・昭武)のフランス行に同行した以上、今後も一身を徳川家のために捧げたい。静岡で商法会所を創設したのもそのためです。よって、政府に仕えるつもりはありません」と大隈に出仕拒否の言葉をぶつける。

では、これに対し、大隈はどのように渋沢を説諭したのであろうか。

「君が仕官を拒んだら、慶喜公が人材を政府に出すのを惜しんでいる、政府への協力を拒否したと思われよう。これは誤解を招く」

要はちょっとした「脅迫」から話を始めている。血気盛んな性質の渋沢だ。もしかしたら、この時、ムッとしたかもしれない。ところが、その気持ちをねじ伏せるかのような大隈の言葉が続くのである。

「それはそれとして、現在の政府は、すべてを新しく建て直しているのである。すべての先例を脱して、ことごとく新しく生み出さなければならぬ時代であるから、1人でも多くの人材を必要とするのである。君は大蔵省の仕事に対しては何らの経験もないと言うが、その点については、この大隈にしても全然無経験である、伊藤博文も同様である。今日の状態を例えて言えば、我が国の神代の時代に、八百万の神々が集まり、ご相談し、諸々を決めたのと同様で、衆知を集めて新しい政治を行うとする場合なのである」

つまり、何もかもが未知。これから創っていく。自分(大隈)も新たな仕事については未経験なのだと大隈は語っている。これは、説得する相手が新たな仕事に対して不安を持っていた場合は、それを和らげる効果があるだろう。そして「衆知を集めて新しい政治を行うとする場合なのである」との言葉からは、優秀な人材を集めたいとの意思が伝わり、聞く人の自尊心をくすぐるかもしれない。

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