ドリームキャストの壮大な失敗に見た多大な教訓 工程の中で重要なボトルネックはどこなのか

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一方で、プレイステーションの後継機「プレイステーション2」や、任天堂の動きも注目され始めます。競合への期待の高まりと反比例するように、ドリームキャスト事業は深刻な赤字に突入していきます。

セガの1999年3月期の最終損益は328億円の赤字となり、2年連続で巨額損失を計上します。これを受け、セガは従業員4000人のうち1000人の削減や、小規模ゲームセンターの閉鎖、新規ゲームセンター出店の停止といった大がかりなリストラ策を発表します。

この追い詰められた状況において、セガは起死回生を狙って3つの打ち手に出ます。

1つ目は、価格の見直しです。希望小売価格を2万9800円から1万9900円に大幅値下げします。1台売るごとに1万円の赤字が出るという状態で、プレイステーション2が出るまでの期間限定とはいえ捨て身の賭けでした。

2つ目は、北米での販売です。価格を日本より50ドル以上安い199ドルに設定し、「通信の融合」をにらんでAT&T社と提携します。ネットワークゲームの市場が立ち上がりつつある北米での勝負に出たのです。

3つ目は、高速ネットワーク環境の整備です。セガはCSKとともに200億円を投入し日米欧にサーバーを設置。高速低遅延のネットワークを構築し、ドリームキャストが快適に遊べる環境の構築を目指しました。

ゲーム機から撤退、サミーと経営統合へ

しかし、無情にも国内販売は復活せず不振は継続。アメリカではそれなりの反応を得るものの販売促進費用が収益を圧迫し、シェアを奪う前に資金面で行き詰まってしまうのです。

セガの2000年3月期の連結決算は449億円の赤字となり、3期連続の大赤字。キャッシュが底をついたセガは、第三者割当増資という形で、大川会長個人、そして親会社のCSKからそれぞれ506億円(合計1013億円)を調達します。入交氏はその責任を取って2000年5月に社長を退任します。

2001年1月、セガは4期連続の最終赤字が確実となった段階で、ドリームキャストの生産中止を発表し、ゲーム機事業からの撤退を発表しました。

経営低迷により単独での生き残りを諦めざるをえなくなったセガは、2004年5月、セガサミーホールディングスとしてサミーとの経営統合を発表し、新たな道へと進んでいくのです。

当時社長だった入交氏は、ドリームキャスト失敗の最大の要因をグラフィックス用の半導体の「誤算」にあったと後日語っています。半導体がうまく機能せずにスケジュールがずれ込んだことで、ハードウェアもソフトウェアも十分にそろえることができずに、最大の勝負のタイミングで売り逃しをしてしまった。計算をすべて狂わせてしまったのです。

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