ドリームキャストの壮大な失敗に見た多大な教訓 工程の中で重要なボトルネックはどこなのか
ゲームと通信を融合させた、次世代ゲーム機
1998年11月27日、セガ・エンタープライゼス(以下セガ)は新型ゲーム機「ドリームキャスト」を発売しました。
ドリームキャストは、1994年に発売された「セガサターン」の後継機です。セガサターンは1996年までは同時期に発売されたソニーの「プレイステーション」を抑えてシェアNo.1を維持していました。
しかし、セガサターンの春は短く、部品の確保に失敗して販売機会を逃したり、「ファイナルファンタジー」の新作ソフトをめぐる争奪戦に敗れたりと、プレイステーションに主導権を奪われていきます。
1998年3月にセガは433億円の特別損失を計上し、セガサターン事業の撤退を決定。上場後初の経常赤字に転落し、社長だった中山隼雄氏は業績不振やバンダイとの合併破談の責任を取って、社長職を退きます。
このタイミングで、発売されるドリームキャストは、新任の入交昭一郎社長にとっても決して失敗できないチャレンジでした。
ドリームキャストの最大の特徴は、入交社長がこだわった「ゲームと通信の融合」にあります。通信モデムを内蔵し、対戦ゲームや多人数参加型のロールプレイングゲームなど、高速回線を使ったネットワークゲームを可能にしました。来るべき高速通信時代に適応したコンセプトを一足先駆けて実現したのです。
スペック面でもライバル機を圧倒していました。ゲーム機のOSとしては世界で初となるマイクロソフト「ウィンドウズCE」や、NECとビデオロジック社が共同開発した「PowerVR2」を搭載。ほかのゲーム機にはない立体感に富んだ3次元映像が楽しめました。
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