ハルビンでの日本人華族との運命的な出会い 「六本木の赤ひげ」アクショーノフさんを悼む①

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一行はニコライさんが経営している牧場にやってきて「馬を見せてくれ」と頼んだ。ニコライさんはサラブレッドとモンゴルの馬を交配して丈夫な新種を作り、関東軍などに売り込んでいた。この時、ニコライさんと華族一行の通訳を務めたのが、全寮制の学校から夏休みで実家に帰っていたアクショーノフ少年だった。まだ16歳ながら日本語スピーチコンテストで一位になり、日本語に自信を持っていた。少年の見事な通訳ぶりに一行は「こんなところに日本語のできるロシア人がいたのか」とびっくりしていた。

その夜、ニコライ宅で歓迎の宴が催され、ニコライさんはシャンパンを出して一行をもてなした。津軽伯爵はすっかり意気投合し、アクショーノフ少年に「将来どうするのか」とたずねた。少年の学校はフランス系のカトリック・スクールだったので「フランスへ医学の勉強に行きたい」と話した。だが、当時フランスはナチスドイツに占領されていて、外国人の留学生を受け入れられる状態ではなかった。津軽伯爵らは「日本の医学水準は高いので、日本で勉強すればいい」と勧めてくれた。少年が「日本にはツテがないので難しい」と言うと、津軽伯爵は「私が面倒を見ますから」と請け負ってくれた。一行は数日後、日本に帰った。

少年は津軽伯爵の勧めを「どうせ酒の上の話だ」と、あまり本気にしていなかった。ところが、夏休みが終わって登校すると、実家経由で津軽伯爵から手紙がきていた。手紙を読もうとしたが、毛筆で書かれていて難しくて読めなかった。ちょうど学校に日本から教師が来ていたので、頼んで読んでもらった。

予想通り、日本への留学を促す内容だった。どうしたらいいか、迷って親に相談した。親は「このまま満州にいると、関東軍指揮下のロシア人部隊に入隊しなくてはならなくなる。思い切って招待を受けて日本に留学したらどうか」と勧めてくれた。少年も「日本に行けば自分の夢に一歩近づくことになる」と考え、日本への留学を決めた。

親代わりになって守った津軽伯爵

日本に来てからは、津軽伯爵に迷惑をかけてはいけないと思い、すぐには連絡を取らなかった。留学生向けの日本語教育を行う早稲田国際学院(東京・高田馬場)に通い出してしばらくたってから、ようやく連絡し、新宿区中落合の津軽宅に出かけた。旧満州で父のニコライさんを知っていた旧軍人も同席し、一緒にウオッカを飲み、ハルビンでの思い出を語り合った。

その後、クリニックを開業してから、津軽さんを何度も海外旅行に招待した。恩返しのつもりだった。2人は16歳も年が離れていたが、アクショーノフさんに対して弟のように接し、津軽さんは親代わりになって守ってくれたのである。

1994年8月、津軽さんは渋谷で心臓発作のため倒れ、入院したが、まもなく心不全のため亡くなった。86歳だった。その後も院長は久子夫人らと家族ぐるみの親交を続けた。

アクショーノフさんは「津軽さんは本当にやさしい人で、いつまでも育ちのいいお坊ちゃんという感じだった」と大恩人を振り返っていた。一番深く付き合い、一番尊敬した日本人だった。

飯島 一孝 ジャーナリスト、上智大学講師

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いいじま かずたか / Kazutaka Iijima

1948年長野県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒。71年に毎日新聞社入社。社会部、外信部などを経て91年からモスクワ特派員、95年モスクワ支局長。97年帰国し東京本社編集局編集委員、外信部編集委員、紙面審査委員会委員長などを歴任。2008年に定年退職。現在、上智大学・東京外国語大学・フェリス女学院大学の各講師。著書『新生ロシアの素顔』(毎日新聞社)、『六本木の赤ひげ』(集英社)、『ロシアのマスメディアと権力』(東洋書店)などがある。

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