到来!「第2次スイーツブーム」流行るのは何か 「自由が丘スイーツフォレスト休園」のその後
スイーツ・飲食業界はその後、ポスト・ティラミスの開拓に乗り出し、消費者も新しい味を求めた。1990年代には、カヌレやベルギーワッフル、ナタデココなど、未知の食感や味わいのスイーツがいくつも流行る。目まぐるしく入れ替わるブームの中、パティシエもフィーチャーするフランス式の生ケーキのブームが訪れた。
フランス式の生ケーキは、タルトやスポンジ、パイの台にムースなどの層を重ね、中にチョコレートやフルーツを入れる複雑な構造をしている。見た目も断面も美しく、そして濃厚で複雑な味わいである。
1990年代には、1993~1999年に『料理の鉄人』(フジテレビ系)が放送されて人気となったことから、料理人やパティシエも注目され始めた。パティシエ人気の中心にいたのが辻口博啓氏。
1997年にお菓子のワールドカップと言われる「クープ・ド・モンド・ドゥ・ラ・パティスイー」で日本人チームとして3位、個人として優勝する快挙を成し遂げ、1998年に自由が丘に自店を開業した。1999年に同番組でパティシエとして初めて鉄人に勝ったことで、時代の寵児となっている。辻口氏は、パティシエという菓子職人の呼び名を根づかせた立役者でもある。
次にやってきたのはマカロンブーム
スイーツブームがパティシエへの注目を伴ったのは、先の番組の影響でデパ地下が積極的に有名店の誘致を図ったからでもある。その頃からデパ地下ブームも始まり、2000年の東急フードショーの東急東横店開業で大きく盛り上がった。そして、ますますデパ地下スイーツの人気が高まっていった。そのブームに乗る形で、自由が丘スイーツフォレストは誕生している。
スイーツブームの入り口がティラミスだったとすれば、その頂点にあり次の時代を招いたのが2000年代半ばのマカロンブームである。立役者はフランスから上陸した2つのブランド。
1つは、コーヒー味やバニラ味など定番しかなかったマカロンに、ピスタチオ味、ローズ味などの新しいフレーバーを採り入れてカラフルなものにした、ピエール・エルメだ。1998年に日本へ進出、2005年に青山で旗艦店を開業している。
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