自民総裁選後の日本を待ち受ける「米国の超大物」 駐日大使予定のエマニュエル氏は恐ろしい人物
そして思惑どおりクリントン氏がブッシュ大統領を破ると、エマニュエル氏はそのまま33歳でクリントン大統領の参謀としてホワイトハウス入りした。そこからは、補佐官からアドバイザー、そしてストラテジストとして重用され、最終的には、NAFTA(北米自由貿易協定)締結の原動力になった。
その圧倒的実力は、NBCの大ヒットドラマ「ウエストウイング(邦題「ザ・ホワイトハウス」)のなかで「ジョシュ・ライマン」としてアメリカ人の間では有名だ。
だが、エマニュエル氏が本領を発揮したのはこの後だろう。クリントン政権を1998年に離れると、ウォール街でM&Aに従事。それからイリノイ州から連邦下院議員に当選すると、2006年の中間選挙では、当時のハワード・ディーン民主党全国委員長の方針に反して「大統領選挙に勝てる候補者」に集中的に資金を当てる政策を断行。それが共和党から、下院の過半数を奪う原動力になった。この結果、このときから民主党下院のリーダーになったナンシー・ペロシ氏(下院議長)はエマニュエル氏の実力を認めざるをえなくなった。
このように、1992年のクリントン氏の勝利、2006年の民主党の下院奪還、そして2020年のバイデン氏へ民主党候補の一本化のすべてで、エマニュエル氏は重要な役割を果たしている。
さらに、彼のタカ派的性格と、策略家・謀略家でもある真骨頂は、オバマ大統領の首席補佐官としても発揮された。2009年、ジョージ・W・ブッシュ(子ブッシュ)大統領から「リーマンショックの後始末」をひきつぎ、まだ青臭かった頃のバラク・オバマ大統領に、「危機はチャンスだ。無駄にしてはならない」とささやいた逸話は有名である。
だが、何といっても、その後オバマ大統領が始めたとされるアルカイダ向けの無人機空爆で、当時の国防長官のレオン・パネッタ氏に、今日は何人殺したかを毎日電話で確認したという逸話は、エマニュエル氏の怖いイメージを決定づけている。
その後は前述のとおり2019年までシカゴ市長を2期務めた。同市出身なので一度は地元に尽くすという思いがあったとされるが、一市民として見ていても、彼にとってシカゴ市長は明らかに役不足だった。そして大使として日本に赴くと聞いたときには心底驚いた。同時にすぐ「これはバイデン政権として何か大きな仕事をするために行くのだろう」と想像せずにはいられなかった。
エマニュエル氏のもとで「甘え」は絶対に許されない
では、バイデン政権とエマニュエル氏は日本をどうしたいのか。正直なところ、まだイメージがない。この人事を受けての日本のメディアの反応は悠長である。一部では「日本は政権へのホットラインを手にした」などと好意的に報道している。
だが、筆者からすればこのラインは「日本のお願い」をアメリカに伝えるためなどではない。バイデン政権の命令を、日本の政治家に直接ギリギリと実行させるための装置のようなイメージでしかない。
いずれにしても、戦後の日本はアメリカの影響下で、あたかも独立国のような錯覚の中で、都合よく甘えてきたことは否めない。戦後から冷戦までは、一方的に日本に有利に働いた日米安全保障条約はちょうどエマニュエル氏がクリントン政権に入ったころから、グローバリゼーションを旗印に、日本に構造改革を迫る「脅し」にも使われたことは想像に足る。
エマニュエル氏は目的のために手段を選ばずやるべき仕事をしてきた人だ。米中関係が厳しくなる中で「友好と親善の象徴」という、これまでの大使のイメージに収まることなど100%ないだろう。
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