一方で、戦前の野球の流れをくむ小学校の野球は、スポーツ少年団の「学童野球」として戦後も存続した。さらに、1950年代にアメリカからリトルリーグももたらされた。リトルリーグは一回り小さい硬式球を使用し、大人のサイズより小さなダイヤモンドで行われる。また投手がボールをリリースするまで離塁できず、実質的に盗塁禁止だった。
リトルリーグがなぜ「盗塁禁止」だったのか? 公益財団法人日本リトルリーグ野球協会に問い合わせると、以下のように回答があった。
「リトルリーグは1939年に(アメリカで)始まりました。子どもたちが野球を楽しみ、親しめるようにダイヤモンドを小さくしたわけで、塁間が近くなったために盗塁の阻止が難しくなったことが禁止の理由の一つ。
さらに、走者ばかりに気を取られ思うように投球ができなくなること、その結果、野球が嫌いになるような子どもがでないようにすることも理由です。また、投げて打つ、という野球本来の楽しさを体感することで、野球を好きになる子どもを増やすことも目的です。
効果については、投手が打者に集中できます。リトルリーグ年代(主に7歳~12歳)の子どもたちには打者と走者の両方に気を配ることは難しく、野球を楽しむことができなくなる。そのようなハードルを取り払い、のびのびと楽しい野球にする、ということから禁止のルールを採用しています」
「盗塁あり」の小学校硬式野球リーグ誕生
1970年代に入って、日本発の小中学生を対象にした硬式野球リーグが誕生した。「日本少年野球連盟」いわゆるボーイズリーグだ。
実質的な創設者は、前出の大野球人、鶴岡一人だ。鶴岡は1967年にリトル・ホークスを創設しリトルリーグに加盟した。リトル・ホークスは1968、1969年と全国大会で、2年連続決勝まで進んだが、盗塁がないなどのリトルのルールを飽き足らなく思い、盗塁ありの独自の少年野球リーグを創設したのだ。自身の戦前の少年野球体験に根差していたと思われる。本部は鶴岡が長年監督を務めた南海ホークスの本拠地、大阪球場に置かれた。
ボーイズに続いてリトルシニア、ヤングリーグなど「盗塁あり」の小学校硬式野球リーグも誕生した。こうした少年硬式野球には、少年世代のエリート層が集い、プロ野球選手を数多く輩出するようになる。
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