9.11から20年「対テロ戦失敗」招いた米国の勘違い アフガンからの撤退を余儀なくされたワケ

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アフガニスタンからのアメリカ軍の撤退について、バイデン大統領は台頭する中国への戦略的競争を理由に挙げている。アメリカにとって「テロとの戦い」はこの20年で足かせとなり、アフガニスタン駐留に注ぎ込んだ膨大な予算と兵力を、中国を念頭にアジア太平洋地域に向ける必要に迫られた。戦略的資源の割り振りの再編だ。

私が20年前に見たアメリカ同時多発テロ事件直後の現場。それからの20年を取材してきた米中両国の状況。そこにアメリカが国際戦略を見誤ったひとつの糸口を見出すことができる。というより、アメリカは対中戦略において20年前のテロ事件と同時に大きな“勘違い”をしていた。

アメリカ同時多発テロの起きた20年前は、まだ中国は国内総生産でも世界第2位だった日本の後塵を拝していた。東西冷戦の終結で世界唯一の超大国としてアメリカは「世界の警察」との自負もあった。そこに歴史上初の本土攻撃の汚辱も加わって、テロとの戦いに邁進していく。

2001年は中国のWTO加盟の年でもある

そのアメリカ同時多発テロ事件が発生した2001年は、もうひとつ世界にとって重要な出来事があった。中国のWTO(世界貿易機関)の加盟だ。

「中国加入WTO記念版」と印字されたタバコ(筆者撮影)

鄧小平の改革開放路線で“世界の工場”として存在価値を見せつけてきた中国の加盟の意味は大きかった。それもアメリカにとっては、1972年に当時のニクソン大統領の電撃訪中以来、「関与政策」の対中外交を貫いてきて、東西冷戦に勝利して10年も経たないうちの加盟である。

中国がやがて資本主義、市場経済化、民主化していくとの観測が主流を占めてもおかしくはなかった。

2000年代に取材で訪れた中国でも、まだ客人をもてなす古来の風習は残っていて、そこで「中国加入WTO記念版」と印字されたタバコを配られたこともあった。中国国内にも歓迎ムードが漂っていた。

ところが、アメリカにとってその中国への期待が大きく裏切られたことに気付きはじめたのは2010年代の前半、まだトランプ政権が誕生する以前のことだ。

2014年秋、私は首都ワシントンDCにいた。そこで政府関係者から聞いた言葉が、アメリカにとって事態の深刻さを示唆していた。

「中国はいつの間にか、世界のルールを作る国になっている」

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