菅首相が切り捨てた、弱者の「助けて」という声 感染対策の切り札「ロックダウン」の是非を問う

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ロックダウンとは個人の外出禁止や店舗などの営業禁止、交通機関の停止といった強制力を伴う措置。アメリカや英国、ニュージーランドなどで実施され、一定の効果を上げたケースもある。日本では感染拡大に歯止めがかからない状況に業を煮やした全国知事会が8月、「ロックダウンのような手法」の検討を国に重ねて要求した。

たしかに感染拡大を食い止める手段として、ロックダウンは有効なカードになるのかもしれない。しかし、それには大きな“副作用”が伴う。経済活動が止まることだ。

「コロナで死ぬか、経済で死ぬか」

新型コロナウイルスが猛威を振るい始めた当初は、「コロナで死ぬか、経済で死ぬか」といった声が、メディアなどでもたびたび取り上げられた。しかし、次第に耳にする機会が減っていった。話題は東京オリンピック・パラリンピックや、ワクチン接種、自民党総裁選の行方にとって代わられ、「自粛や制限は、補償とセットで」といった訴えはかき消されがちだ。

しかし“経済による死”のリスクは現在のほうが格段に高まっている。このままロックダウンだけを強行すれば、経済に殺される人たちは間違いなく増える。ネットカフェが閉鎖されれば、大勢の人たちが路上に追い出されることにもなるだろう。

私は昨年から、コロナ禍で生活困窮に陥った人々を支援する民間のネットワーク「新型コロナ災害緊急アクション」の活動を取材している。SOSを発する人々は、年齢、性別、国籍もさまざまだ。特に最近は20代、30代の若者や女性のSOSが増えているという。彼らはすでに限界までがんばり、ぎりぎりのところまで追い詰められている。

菅義偉首相は生活困窮者に対する支援として「最終的には生活保護という仕組みもある」という旨の発言をした。しかし、実際には申請しても窓口で追い返される“水際作戦”や、親族に援助が可能かどうかを問い合わせる扶養照会、収容所のような悪質な無低(無料低額宿泊所)への強制入居など、生活保護を利用するまでのハードルは相当に高い。

何より生活困窮者自身が「生活保護を受けるのは恥ずかしい」というスティグマ(社会的恥辱感)から、申請をためらう人が少なくない。

こうした“最後のセーフティネット”にたどり着くまでの厳しい現状については、新型コロナ災害緊急アクションの同行取材をまとめた拙著『ハザードランプを探して 黙殺されるコロナ禍の闇を追う』に詳しく記したので、興味があれば一読してほしい。

すでに崖っぷちまで追い詰められ、生活保護の利用もできない人々にとって、ロックダウンは死刑宣告に等しい。それはさまざまな業界の中小企業経営者にとっても同じことだろう。しかしながら、実際には「補償とセットのロックダウン」はまず不可能ではないか。財源の問題ではない。これまでの政府の対応は、決断力を欠いた“不作為”の連続だったからだ。

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