アウシュヴィッツ生還者が見た非道な人々の仕業 「モラルは失ったが最後、取りもどす薬はない」

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計画は完璧にうまくいった……ただひとつだけ見落としていたことがあった。興奮のあまり、ふたりともアウシュヴィッツの服を着たままだということを忘れていたのだ。腕には番号が彫りこまれ、背中には同じ番号の書かれた縦20センチの布が縫いつけられている。そんな姿でどこに行けるだろう。すぐに日が沈み、ひどく寒くなるだろう。上着もない。工場では仕事を始める前に上着を脱いでかけるので、シャツ1枚だ。だれかの助けが必要だ。

森のなかをしばらく歩くうちに、一軒の家がみえてきた。あたりにほかの家はなく、煙突から煙が出ている。近づいてドアをノックすると、ポーランド人の男性が出てきた。わたしはポーランド語は話せないが、ドイツ語とフランス語なら話せるので、助けてもらえないか、着るものが必要なのだと両方の言葉でたずねた。すると彼はわたしをみつめ、なにも言わずに背を向けてなかにもどった。長い廊下の両側にいくつも部屋がある。彼はいちばん奥の部屋に入った。わたしは心からほっとした。てっきり助けてもらえると思ったのだ。

彼はシャツではなくライフルを手に

彼がもどってきたとき、手に持っていたのはシャツではなく、ライフルだった。ライフルがこちらに向けられ、わたしは後ろを向いて走りだした。ジグザグに走るわたしに向けて1発、2発、3発。まだ撃ってくる。6発目がみごとに左ふくらはぎに命中した。わたしは悲鳴をあげたがなんとか逃げ切り、シャツを引き裂いて傷口をしばると、どうしようかと考えた。わたしはぞっとした。地元のポーランド人もドイツ人と同じように敵だとしたら、絶対に生き残れない。

仕方ない。アウシュヴィッツにこっそりもどろう。

『世界でいちばん幸せな男:101歳、アウシュヴィッツ生存者が語る美しい人生の見つけ方』(河出書房新社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら

わたしは足を引きずって山を登った。ファルベンの工場での労働を終えた被収容者がもどってくる。わたしは計画を立てた。そのときは何百人もが行進する足音、兵士の怒鳴り声、犬の吠え声などでとても騒がしくなる。彼らがくるまで道路の脇に隠れ、隊列が通過するとき、こっそりもぐりこめばいい。

計画は成功し、うまくまぎれこめた。わたしはなにくわぬ顔でアウシュヴィッツにもどり、バラックに帰った。ナチスはわたしが抜け出したことに気づいていなかった。脱出の唯一の記念品は、左脚の筋肉にめりこんだ銃弾だ。

撃った男を憎んでいるか? いや、わたしはだれも憎まない。彼は弱かっただけで、おそらくわたしと同じように恐かったのだろう。恐怖心につけこまれてモラルを失ってしまったのだ。残酷な人間もいれば、親切な人間もいる。よき友の助けがあれば、わたしはまた1日生きのびられるだろう。

(翻訳:金原 瑞人)

エディ・ジェイク
Eddie Jaku

1920年ドイツに生まれる。ナチス政権下、アウシュヴィッツなど複数の収容所に入れられ、終戦近くに脱出、米兵に救出された。現在、オーストラリア在住。自身の体験を語り続け、世界的に感動を呼び起こしている。

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