高校バスケ強豪校が告白「コロナ出場辞退」の裏側 大会や競技により「出場規定まちまち」の実態
「顧問の先生には、母親が連絡してくれました。僕は部屋のベッドの上にうずくまってました。少ししてから先生から電話があって。泣いてしまって、言葉にならなかったです。先生は笑いながら『気にせんでいいよ。仕方ないんやから』と言ってくれました。インハイ(インターハイ)の関係者に連絡をとって、(出場できる)道がないか一生懸命動いてくれたようでした」
同校バスケット部はインターハイ前の近畿大会で準優勝と過去最高の結果を出していたが、最終的に全国大会への道は閉ざされた。傷心のA君のところに次々とメッセージが届いた。
「残念だったけど、ウィンターカップ(12月開幕のバスケット独自の全国大会)もある」
「心配するな。みんな気にしてない。大丈夫だよ」
「みんな前を向いている。早く帰ってきてな」
卒業生からも「元気出せ」「ウィンターカップに出ろよ」といった励ましの言葉がスマホ画面に並んだ。
中学時代の恩師からも電話をもらった。
「この経験を次に生かせよ」
胸がいっぱいになった。
隔離解除、顧問とメンバーの反応は…
陽性がわかった翌日は体温が39度まで上がった。解熱剤を飲みながら、3日かけて少しずつ下がっていった。
「最初は関節が痛かったです。病院では解熱剤と鼻水を止める薬だけもらいました。ただ、息苦しくなかったし、味覚や嗅覚も最後まであったので、かなり軽症だったんだろうと思います。母から息苦しくなったらすぐに病院に連れて行くからと言われてはいたのですが、逆に急変したらどうしようとか考えすぎてしまい、しんどくなった。テレビやスマホのニュースを見ると、重症化した人や後遺症のこととか報じられていたので。不安になって、水を飲むときに手が震えたりしました。食欲はなくて、体重は5キロくらい減りました」
アクシデントに耐え2週間、隔離解除の日がやってきた。顧問から電話があり「練習においで」と言ってくれた。
「体育館に入ったら、みんながそばに来てくれました。大丈夫?と言ってくれて。泣かんとこうと思ったけど、みんなの顔を見たら、もう涙が止まらなかった」
インターハイ男子バスケットが開幕したのが7月25日。A君が所属する近大附属をはじめ、ほか2校が大会中に辞退を決めた。東京都代表の実践学園は昨冬のウィンターカップに次ぐ辞退で、感染者が多い都市部での感染予防の難しさを印象付けた。
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