タリバン謎の「イメチェン」意図はどこにあるのか 女性の権利認めるという新生タリバンの実態
アメリカ軍の通訳や政府、軍関係者に対しても、「誰に対しても憎しみはない。国民全員に恩赦が与えられた」と述べるなど、前政権時代の関係者に対する残忍な粛清行為が拡大するとの懸念を払拭する。アフガンが「テロの温床」になるとの声にも、「アフガン国土を他国に敵対するために使わせない」と述べ、匿ってきた国際テロ組織アルカイダなどのテロ組織と事実上縁を切る考えを示している。
政権樹立についても、カルザイ元大統領ら有力者と会談するなど各勢力や民族、宗派を取り込んだ包括的な政権樹立を求める内外の声にも耳を傾ける姿勢を見せている。
タリバンの特異な思想はなぜ生まれたのか
ここでタリバンの特異で厳格なイスラム思想が生まれた背景を振り返ってみよう。
1980年代、アフガンは共産化を狙ったソ連と、これに抗うムジャヒディン(イスラム戦士)がジハード(聖戦)を繰り広げた舞台となった。隣国パキスタンには、数百万人のアフガン難民が逃れ、教育や寝食を提供したのがマドラサ(イスラム神学校)だった。
マドラサの多くは、デーオバンド派である。この流派は、イギリス植民地下のインドで19世紀後半に生まれ、植民地統治や現代化の影響が増す中で古典的なイスラムを死守するために台頭したイスラム改革運動だった。デーオバンド派は、スンニ派四大学派の中では、現実問題により柔軟に対処する能力を持つハナフィー学派の教義に従っており、過激な面ばかりではない。
ところが、時代背景がマドラサの教育に大きな影響を与えた。1979年のイラン・イスラム革命でシーア派による「革命の輸出」をおそれたサウジアラビアは、スンニ派をテコ入れするため、マドラサを資金や人的面で強力に支援。マドラサの学問に、コーランを字義通りに解釈する傾向が強いサウジのワッハーブ派の影響が浸透した。
タリバンは、アフガン内戦の最中にマドラサのイスラム神学生を中心に、救国を旗印にして登場。アフガンという祖国をほとんど知らない難民として育った神学生も多く、ワッハーブ派の影響を受けてジハード(聖戦)に熱を上げ、理想的なイスラム国家創設というユートピア思想を抱いた者も少なくない。
政権掌握を前に、アフガン戦闘員らは「イスラム首長国」とつねに口にしており、タリバンはカブール制圧に伴い、幹部は「アフガニスタン・イスラム首長国」の樹立を宣言した。
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